『 臨時バス 』-1
バスを間違えたと気づいたのは、夕暮れの駅前で、発車間際にとびのった臨時バスが、ひなびた市街地を抜け、細い山道に乗り入れた時だった。
乗客を一人乗せただけのバスが、後輪を滑らせ、砂ぼこりを舞いあげながら、ものすごいスピードで山道を駆けあがっていく。
両側から張り出した枝が車体をバシバシと叩く。タイヤが轍をまたぐたびに、車体が激しく跳ね上がった。
十数年振りの帰省とはいえ実家の方角くらいはわかる。このままだと山越えして隣町に着くのは明らかだった。
「運転手さん! このバスどこに向かってるんですか!」
前の席にしがみついて立ち上がろうにも、上手くバランスがとれない。
最後尾の席は揺れが激しく、強い口調で呼び掛けたつもりが、わずかにうわずった怯えた声になっていた。
「どこだってお望み通りに連れていってやるよ」
運転席から、ざらついた、高い、金属的な声が響いてきた。
古いスピーカーを通して聞くような、人工的で、どこか人を不安にさせる声。
「よく悪ガキと万引きしたスーパーがいいか? ん? 好きな女押し倒して初めてやった裏山か? ん? ギャンブルの負け踏み倒して逃げた胴元の家か? ん? ん? そんなに、ボケて死にかけてるクソばばぁのところに行きたいか!」
最後の言葉を聞いて、反射的に立ち上がろうとしたその瞬間、鋭いブレーキと車体が急カーブを切った慣性で、私の体は宙に浮き、通路をへだてた反対側の席に頭から突っ込んだ。
「おやおやお客さん、悪ふざけは困りますねぇ。おとなしく座っててもらわないと。ヒャハッハッハッ……」
とっさに頭は避けたものの、座席の足元にはいつくばりながら、肩を殴打した痛みで動くことができない。
背もたれを手掛かりに動く方の腕で身体を持ち上げ、なんとかシートに横たわる。
確かに今度の帰省は入院中の祖母を見舞ってほしいという、母の言葉に従ったことだし、ギャンブルに溺れてこの街を逃げ出したことも当たってる。
今回の帰省で、母にわずかでも金の無心ができないか、という下心もあった。
ただどうしてこの運転手がそんなことまで知っている?
「お前のことなら何だって知ってるぞ、この腐れ野郎」
運転手は得意気なようすで、床を踏み鳴らし、手を何度もハンドルに打ちつけている。
「男に突っ込まれてヒーヒー泣くようなちんけなチンピラ野郎だろうがぁ!」
運転手の顔を確かめようにもこの位置からは後頭部しか見えない。
サイズの合わない帽子を、だらしなく伸びた髪の上に乗せ、よれよれのワイシャツは襟元が油染みで汚れている。
わずかに見える横顔は汚れなのかアザなのか、黒ずんだマダラ模様が頬に張りついていた。
「さぁ、早く言え! お前の望みを! 取引だ! 契約だ! 虫けらのようなあのクソばばぁの命と引き換えに、お前を好きな場所に連れてってやる。お前の人生の過ちを一つ消してやるぞ。さぁ、どこがいい? いつがいいんだ!」
この運転手は狂っている!
何とかして逃げなければ、最後には殺されてしまうに違いない。