『 初恋 』-3
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主任医師はエピネフリンの用意を命じた。
差し出された注射器を手にとると、素早く静脈に差し込み注入する。
スタッフの一人が除細動器のプラス極とマイナス極のパッドを持ち上げて身構える。
患者の心拍は薬の効果で、一時的に、頻拍の状態をしめしているが、安定はしない。
「エピネフリンを追加しますか?」
「だめだ。これ以上は心臓に対する負担が大き過ぎる。除細動器を!」
主任医師はパッドを受け取ると、患者の胸をかこいこむ形で押しつけた。
電流が流れた瞬間、患者の身体が激しく跳ね――バン!――という音が部屋中にひびきわたった。
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改札を抜けたあなたは、壁にもたれ、人待ち顔で、反対側から上ってくる人の流れをみつめてる。
待ち合わせ? 時計を気にする仕草をみれば、誰にだってわかる。
大人だもの、恋の一つや二つしてたって不思議じゃない。そうよね、誰もがみな昔のままじゃいられない。
覚えてる? 校庭の隅で指切りしたこと。゛大人になったらお嫁さんにしてやるよ ゛って、妙に力んでたあなたが、とても頼もしく見えた。
大切な思い出、大切な私の初恋……
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電圧を上げてもう一度、そしてさらにもう一度。除細動器の操作をスタッフにまかせ、主任医師はモニターを厳しい目でみつめている。
安定するどころか、心電図の示す不整脈はより激しくなり、いずれ停止するのは避けられないように思われた。
「このままでは彼女、引き戻せなくなるぞ……」
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あなたの表情が変わり、照れたような笑顔で手を振る。
人込みの中から、優しそうな女性と、手をつなぐ小さな少女が現れた。
少女はあなたをみつけると、待ち切れないように、つないだ手を振りほどき、改札を抜け、走りだす。
あなたに抱きとめられ、抱えあげられた少女は、嬉しそうに何か、夢中になって話してる。
あなたが父親の顔になる……
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重苦しい雰囲気の中、主任医師がスタッフにつぎの指示を告げようとしたその瞬間、患者の心臓がひきつるように拍動し、身体がひときわ激しく痙攣した。
そしてすべてのモニターがフラットの状態になった……
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三人は連れだって駅の人込に消えていく。楽しげな笑い声がきこえた気がした。
どんなに辛く悲しいことも、いつか、時折思いだす、懐かしい昔話にかわる。
それでいいよね。忘れたっていいんだよね……