『 long-distance call 』-2
※ ※ ※
匂いがした。
仕事から戻って玄関のドアを開けたとき、暗闇の中、最初に感じた違和感は、かすかに漂う化粧品の匂い。 それも男性が使うシェービングクリームの匂いだった。
とっさに明かりをつけたものの、脚が棒のようになって、靴を脱ぐことさえ出来ない。
このまま外に出て、管理人さんを呼んだ方が安全だろうか……
優子は気持ちとは裏腹に、靴を脱ぎ、素足のまま音をたてずに、狭い廊下を進んでいった。
すぐ右手のバスルームを、そして左手のトイレを、時間をかけて確認する。そしてダイニングに続くドアを細目に開け、手を伸ばし明かりをつけた。
明るい色で統一された、質素なダイニングには何の異常も感じられなかった。キッチンも異常なし。あとは寝室だけだが、その頃にはもう優子は、玄関先で感じたあの違和感は、ただの気の迷いかもしれないと思い始めていた。
そして寝室のドアを開けた……。
寝室にはドレッサー、タンス、小さな本棚、姿見、そしてシングルのベッドがある。
そのベッドを見たとき、優子は氷で出来た手が心臓をわしづかみにするのを感じた。
いくら吸っても息が出来ない。気を失わないようにするのが精一杯だった。
朝、ベッドメイクしたはずのブランケットに、人型の窪みが出来ていた。誰かがこのベッドに横たわったのだ。無意識に一歩踏み出した時、サイドボードの電話が鳴った。
どれくらいそうしていただろう。鳴り止まない電話を見つめながら、こみあげて来たのは怒りだった。
優子は電話に歩みよると、乱暴に受話器をつかみあげた。
『誰なの!どうして私を…… 』
『優子……ストーカーは……いる……逃げるんだ……お前の……早く……』
その声はまぎれもなく、懐かしい父の声だった。
死んだ父が電話を通して、ストーカーの危険を知らせている?
どうしてそんなこと?
わけがわからず、振り向いた優子の前に、黒づくめの男が立っていた……。
※ ※ ※
優子はパトカーの後部座席で毛布にくるまりながら、ぼんやりとマンションのエントランスを眺めていた。
数台のパトカーと警官たち。そして野次馬。
事件直後のことはよく思い出せなかった。
黒づくめの男につかみかかられたと思った瞬間、ドアを蹴破るように入ってきたもう一人の男性が、アッという間にストーカー男を取り押さえてしまったからだ。
あとでわかったことだが、それは父の後輩にあたる所轄の新米刑事だった。
その人が人込みをわけて、ゆっくりとパトカーに近付いてくる。格闘の際に傷つけたのか、手には白い包帯が巻かれていた。