■LOVE PHANTOM■三章■-1
喫茶店「ＯＺ」。
「それにしてもさぁ、昨日の叶っていう奴、変な奴だったね。」
そう言いながら、幸子は紅茶へと砂糖を入れた。
「でも悪い人じゃないよ。いい人だった。」
靜里は、メニュー表へと目を落としながら笑った。
「まぁ、人を見る目のあるあんたがそう言うなら、いい奴なんだろうけどね。」
幸子は、紅茶をかきまぜているスプーンを止めて、ため息をつきながら靜里の顔色をうかがった。
「あーあ。何その顔？まるで恋人でもできたっていうような、顔だよ。」
「そうかな。でも、そういう考えはないよ。」
靜里は照れ臭そうに、小さく笑った。
今日は平日ということもあってか、店内にいる客は靜里たちだけだった。しかも「ＯＺ」は他の喫茶店とは違い、ＢＧＭを流すということはまずない。なので、この空間に響いているのは、二人の声だけということになる。
二人の会話は、もちろんカウンターで洗い物をしているマスターまで聞こえていた。マスターはやせ形で、背がひょろりと高く、いかにも女性好みの顔付きである。
マスターは、しきりに叶の事を話す二人のほうを見て食器を洗っている手を止めた。
「お嬢さんがた、何か食べるかい？他にお客もいないしケーキくらいならだすけど。」
そう言うと、マスターはケーキの入った冷蔵庫を開けた。それを見た靜里と幸子は顔を見合わせている。
「どうする？」
靜里は、遠慮をしているのか小声で言った。
「くれるって言うんだし。食べようよ。」
幸子は舌の先をペロリと出すと、マスターの方へと大きく手を振った。それを見たマスターは、軽く含み笑いをした後で冷蔵庫の中から取り出したケーキを二つ、皿の上へのせた。レアチーズケーキである。
「すみません図々しくて。」
靜里は恥ずかしそうにマスターへ頭を下げた。
「いやいやかまわないよ。それより二人とも大学生みたいだけど、どこの大学へ行ってるんだい。」
そう言いながらマスターは、ケーキののった皿をテーブルの上においた。
「北経法大だよ。すぐそこの。」
幸子はケーキをぱくつきながら言った。
「ほう、じゃあ浅田先生なんかいるだろ。」
マスターは何やら、意味ありげに腕組みをしながら笑った。そして、それを聞いた靜里はケーキを食べている手を止めてマスターを見上げた。
「知ってるんですか？浅田先生を・・。」
「ああ。大学が一緒でね・・彼女とはいつも馬鹿をやってたよ。」
「もしかしてマスターの事じゃない？先生がいつも話す人って。」
今度はケーキをたいらげた幸子が言った。
「なに？大学で何か言ってるの？」
「いっぱい言ってるよ。浅田先生の従兄弟と仲が悪くて、いつも喧嘩してたとか。」
「あっちゃーあいつ変わってないなぁ。」
幸子が肘でマスターの腹を軽く叩くと、マスターは上を向きながら嬉しそうに笑った。
それはまるで恋人の話をされたような、そんな顔付きによく似ている。きっとこのマスターは浅田先生のことが好きなのだ、と靜里は勝手に解釈した。そうでなければ、こんなに照れ臭そうな表情をするはずかない。そう思ったからである。
靜里は、食べ終わったケーキのフォークを皿の上へ静かにおくと、ゆっくり椅子をひいて立ち上がった。
「何？そろそろ行く？」
靜里を見上げながら幸子が言った。靜里はこくりとうなずくと、皿をカウンターへ運び、水道の蛇口をひねった。
「いいよいいよ、そんなことはしなくても。」
それを見たマスターは、カウンターへ駆け寄って靜里を止めた。
「ごちそうになったのはこっちだし・・いちおう、形だけでも。」
マスターのすまなそうな声を聞きながら靜里は言った。
「相変わらず靜里は優しいなぁ。」
靜里の横へ立った幸子は、ため息交じりに笑い、その後で自分の皿を水道へと近づける。 靜里は洗い終わった皿を食器棚へとしまうと、幸子の後ろへ立ち、耳元へと濡れた唇を近づけて「幸子だって洗ってるでしょ！」と吐息交じりに言った。
幸子はぶるんっと大きく震えた後で、マスターへ洗い終わった皿を手渡した。マスターは口元に軽く笑みを浮かべながら、それを食器棚へともどしてから、店を出ようとする靜里に声をかけた。