■LOVE PHANTOM■三章■-2
彼女はその声に立ち止まり、振り返る。
「恋華に言っておいてくれないか？」
幸子もドアを開けたところで止まっている。
「なんて伝えればいいですか？」
靜里が言った。
「また海へ行こうってな。」
そう言ったのとほぼ同時に、マスターは下を向いて何かを作り始めた。照れているのだ、彼は耳たぶの先まで真っ赤に染まっている。靜里と幸子はそれに気がつきながら、
「明日あたり“ＯＺ”へ来るかも！」と、カウンターへ立つマスターに言った。
青く。冷たく。広い空が頭上を泳いでいる。
時折吹いてくる突風は、歩道を歩く人々に強く、冷たくあたった。路上に落ちていたポプラの枯れ葉が空中へ飛び弧を描いている。それはまるで、風が葉をまとい自分はここにいると道行く人々に自己主張しているようにもとれた。
幸子は両手を自分の口元へ寄せると、白い息をはいた。
「ごめんね。買い物付き合わせちゃって。」
靜里は風にほどかれて行く髪を片手で押さえている。
「何言ってるのよ。わたしが勝手についてきたんだよ。」
そう言うと幸子は、靜里の鼻先を人差し指でつんと押してやると、靜里は「何よ！」
と鼻をくすんと鳴らした。
平日であるからであろう。付近の歩行者の数は少なく、心なしか車道のほうもガラリとしている。二人は白い息を吐きながら、ポプラの並木道を行った。
「それで靜里。どんな指輪がほしいの？」
幸子が言う。
「そうだなぁ。あまり派手じゃないのがいいな。」
くすり、と笑いながら靜里は青く広がる空を見上げた。
一瞬、あの澄んだ空を切り取って、それを指輪やスカーフにしてみたいと思ったのだ。
「何よ。空に何か、いたの？」
そう言いながら、幸子も靜里のまねをして上を見上げてみるが、おもしろいものがある訳でもなく、ただ青い空が広がっている。幸子には何も感じなかった。
「ねぇ靜里。早く指輪買いに、どこかのお店に入ろうよ。それでさ、残りの時間で暖かいココアでも飲もうよ。」
幸子は、靜里の袖をぐいぐい引きながら、いたずらに笑って見せた。
「なぁに？また何か食べたりするの。」
「だって食欲の秋じゃない。」
「もう冬です。」
そんな幸子を見ながら靜里は苦笑した。
「じゃあ最初に“らいら”に言ってみよう。」
靜里がそう言ってくるりと後ろを振り向いたその時、一瞬、風が止まったような気がした。風だけではない。それに吹き上げられている木の葉も、今まで流れていた時も、そして横を過ぎて行く見知らぬ人も、後ろに立っている幸子でさえも、この一瞬に止まったように静里には感じた。
白く、真っすぐに続く歩道の先には彼がいた。
靜里はゆっくりと口を開く。
「叶。」
「靜里。」靜里の耳には、この距離からはとても聞こえるはずのない、叶の声を聞いた。もちろんそれは気のせいだと知っている。でも、なぜだろう。靜里は不思議な快感に襲われていた。叶を見ていると、体の中で何かが沸々と沸き立ってくるのだ。
それは、体の丁度中心から生まれ、まるで電気が、精密な配線の結びを足早に流れて行くかのように、彼女の体中を駆け巡っていた。
叶は相変わらずの表情で、一歩一歩靜里へと近づいてくる。何も聞こえない空間で、靜里の瞳には叶が映っている。
一度、二度と、靜里が瞬きをする間に、叶の姿はすぐ目の前にあった。