『 賭け 』-1
「さぁ、ここで一つ、私と賭けでもしようじゃないか」
私は、この一言を言うために、この一年、周到に計画を立て、一人の男を探しだし、素行を調べあげた。
その男は今、椅子に縛りつけられ、猿ぐつわを噛んでいる。
部屋は、この計画のために他人名義で手にいれたもので、部屋の中央に男の座る椅子がある他は、家具らしいものは何一つない。
カーテンもない窓からは西日が差し込み、部屋は蒸せ返るように暑かった。
「あの日、妻と娘は、私の母の見舞いに行った帰りだったんだよ。母は、その前の週に胃の痛みを訴えて入院していたからね」
男は自分の身の上に起きた災難の原因にやっと思い至ったのか、唖然とした表情で私の顔をまじまじと見た。
「妻は、高速を走っている途中、右側の後輪から空気が漏れているのに気がついた。ハンドルをとられそうになったんだろう。慌てて路側帯に止め、妻は確認の為に車を降り、娘もそれに従った。そこにトラックが突っ込んで来た。運転手は酔っていた。助手席の足下に転がった缶ビールをひらおうとして、目を離したんだ」
私は部屋を横切ると、窓辺に立ち、外を眺めた。高台にあるこの部屋からは、眼下に広がる街の大半が見渡せる。ありふれた街並みが夕日の中に沈み、その中央を横切るように高速道路が走っている。
確か、あの辺りが妻が車を停めた場所だろう……。
「その運転手は、妻と娘、二人の命を奪っておきながら、こともあろうに執行猶予を勝ちとった。そして、その男が失ったものは免許証と仕事だけ。事件は時とともに忘れ去られ、三年という月日が流れた……」
私は振り返り、男に歩み寄ると、その肩を掴み、顔を寄せ、耳元でささやいた。
「あんた、妻や娘のこと、夢にみたことあるのか?」
男はその手を振り払うように急に暴れだした。猿ぐつわをはめた口から激しいうなり声が漏れる。
どう足掻いても逃げられるはずがない。椅子は床に金具で固定され、縛ったロープは登山用のザイルだ。
階上階下、両隣りが空き部屋であることは確認済みで、何が起ころうと物音を聞かれる心配はない。
「私はあんたに復讐することばかり考えていたよ。しかしね、あれは確かに事故だった。酔っていたとはいえ殺意はなかっただろう。妻や娘にも落ち度はあったはずだ」
これで、妻や娘は本当に喜んでくれるだろうか……。
「だからね、私はあんたと賭けをすることにしたのさ」
私は部屋の隅に立て掛けてある、等身大の姿見を男のそばに運んできた。そして男を挟んで反対側にも一枚、姿見を正対するように置く。覗き込むと無数の鏡がもう一枚の鏡に映り込んで、男の怯えた横顔が延々と続いている。
これでいい。
何か月も古い書物を紐解き、調べあげた、鏡の形状、角度、方位、そして時間。
腕時計を見ると、もうあまり余裕がない。