『空』という名の鎖-5
5 「おぅ、陽依都。ボール取らせてくれ」
「俺の目と頭がおかしくなったんじゃなかったら、今、ボールよりお前が先に、ここに入ってきたように見えたけど」
窓枠を飛び越えて入ってきた、その場の空気にそぐわないユニフォーム姿の侵入者に『あっ、やっぱり。今日も来た』なんて声がどこからか聞こえてきた気がして、俺はにんまりと笑う。
アトリエの窓際にキャンパスを広げた陽依都の横に引きずってきたパイプ椅子を広げ、ドッと座った俺は、その指先に視線を落とし、『あれ?』と声をあげた。
「おまえ、空の絵、もう描かないんじゃなかったっけ?」
そこには、いつもの軟らかいパステル調の淡い空が広がっていた。
陽依都が、長めの前髪をかきあげ、ジロリと俺を見て、不敵な笑みを浮かべた。
「空を描くことにしたんだ。だって、勿体無いだろう?あんな、淫猥で、妖艶で、艶っぽい艶姿、他の誰かに見せるなんて。あの顔を俺以外の誰にも見せたくない。あの顔は、俺だけのものだから。だから、やっぱり俺は、愛しい人を、空に閉じ込め続けることにしたんだよ」
透き通るような声でそう言い放った陽依都の言葉を、一際幼く見える、いたいけな美術部の少女達が『淫猥?…つ、艶?…え?…えぇ?…何?』と頭にいっぱいクエスチョンマークを貼り付けながら小首を傾げてこちらを見ていた。
「だっ!何言ってんだよ、お前は。ば、ばか!」
顔を紅潮させた俺は、パイプ椅子を派手に倒しながら立ち上がり、よろよろと後ずさりして、『ばぁか!!』と捨て台詞を放ち、窓枠を飛び越えて一目散に、傾きかけた夕陽に向かって走りだした。
部活の仲間達に合流し、頭をポカポカ叩かれながら、チラリとアトリエの方を見る。
そこには、窓の桟に頬杖を付いて、こちらに熱い視線を向けている、陽依都がいた。
いつもと変わらない、その風景……
変わったのは……
彼の描く空に閉じ込められ、空の鎖に繋がれたまま、その指から放たれる魅惑の色に魅せられ、翻弄され、キツク…更にキツク、束縛される……そんな快感に酔いながら、もっと拘束して欲しいと、その身体に追い縋っている俺自身。
実際、のん気な俺が、そんな心の奥の奥で蠢く、自身の危険な本能に気付くわけもなく…それでも今日は、山から吹き降りる北風が、とても暖かくて感じるのは、背中に感じる陽依都の熱い視線に冷たい風が溶かされたせいだと感じ取っていた。
気持ちのいい風に煽られながら、ふと見上げた薄紫の空。
それは、今日も優美で繊細で……そしてとても、官能的に俺の心に移っていた。