落書き-2
「けどさ、一番輝いてたよ。ナナサの夢。デザイナーになりたいって、まわりが無理だって言っても絶対に譲らなかったもんね」
「うん」
テーブルの缶を置くと、ナナサはソファーから腰をあげて、窓際へ歩いた。ストームブルーのレースをすっと引くと、真っ暗な夜空には秋の星座がちりばめられていた。
「そうだね」
そういえば、とナナサはふと思い出した。
「ねぇ、あれ覚えてる?夜中みんなで家を抜け出したこと」
「覚えてるよ。当然でしょ」
喜々としてミサキは言った。
「懐かしいなぁ。あれでしょ?みんなで駅前の道端に落書きしたこと」
ナナサは口元に笑みを浮かべた。本当に懐かしかった。仲良しだった四人で、チナツの家を抜け出して遊びに出た日のことだ。あらかじめ用意してあったチョークで道路のど真ん中に、それぞれ一つずつ好きなことを書いたのだった。
「私は、教師になるぞ!だったし、チナツは作家万歳だったわよね」
と、ミサキは言った。
「そうそう。で、ミミが男っていうの一言」
「そう。それで、ナナサが世界一のデザイナーってね」
「うん」
「一番大きくね」
「うん」
「まだ残っているかな。あの文字」
「……」
「あはは。残っているわけないか。何年たったってね」
「……」
「ナナサ?」
受話器から、沈黙に気がついたミサキがナナサを呼んだ。
ナナサは答えなかった。いや、答えられなかった。今、口を開いたらきっと鳴き声しか出てこない。ナナサは再び窓にカーテンを閉めると、うなだれ、ミサキにも気がつかれないようにゆっくりと息を吐き出した。喉元には、涙が絡まっていた。
「ごめん」
ようやく、声を絞り出してナナサは言った。
「忘れてた」
「ナナサ」
「私、忙しさに、かまけて、いつの間にか、時間に飲まれて」
「いいよ」
ミサキはナナサの言葉をさえぎった。
「もう、いいよ。ごめんね、私もそんなつもりで言ったんじゃないからさ」
ナナサは一人で首を振った。
「ううん。ありがとう。ミサキ。忘れるところだった。無くすとこだった。大事なもの。私が一番大切にしていたもの、もうちょっとで本当に無くすところだった。ありがとう」
はなをすすりあげると、ナナサは天井を見上げて無理に笑った。
「あの時、私が道路に書き込んだのは夢だったけどさ、それをかなえるのは紛れもなくこの現実世界なんだよね。夢は、決して見るだけのものじゃないんだよね」
数秒の沈黙を追って、ミサキがクスッと笑うのが聞こえた。
「なぁんだ。無くしてないんじゃん。そうだよ。夢なんてね、本気になった人が叶えられる神様からのご褒美なんだから」
「うん。ありがとう」
こうして店員として着物に触れるのも今日が最後だと、ナナサは思った。
突然やめたら、きっとみんな怒るだろう。迷惑だってかけてしまう。それは重々承知していた。けれど、もうこの気持ちはどうしても止められなかった。もう、一秒先も待っていられないほどナナサは自分の夢に向かって走り出したかった。この一年間も絶対に無駄ではなかったと、ナナサは感じていた。
とりあえず、自分の気持ちと店長に話、そして一度故郷へ戻ろう。そして、みんなで落書きしたあの場所へ行ってみて、今度は一人であの日と同じことをチョークで宣言し、そして始めよう。
「がんばれ、私」
ナナサは自分に言い聞かせるように呟くと、店内の照明をつけにバックへと入っていった。