『特別な日』-1
「12月31日はオレにとって大事な日なんだ……」
その男は、カウンターに置いた自分の手を睨むようにして言った。
店は繁華街の外れにある、テーブルが3つとカウンターだけの小さな店で、私とその男以外に客はなく、照明を落とした店内には静かにジャズが流れている。
男は私を無害な行きずりの酔客だと思ったのか、ぽつりぽつりと世間話を始めた。目は落ちくぼみ、無精髭ののびた顔は紙のように白い。
自分でも、話しかけたことが不思議でしかたない、といった風で、声が震えかすれている。
――さぁ、続きをしゃべるんだ――
「12月31日は本当に特別な日なんだ」
男は震える手でグラスをあおると、悲しいのか、嬉しいのか、その言葉を何度も繰り返していた。
―― 慎重に話を進めなければならない。時間はまだある――
「私にとっても今夜は特別な夜ですよ。誰にとっても大晦日は特別でしょ」
私は何食わぬ顔で言った。
「明日になって新年を迎えたからといって、何が変わるわけでもないでしょうがね」
男は激しく首を振ると、叫ぶように言った。
「違う!オレはずっと今日を待っていたんだ。ずっとずっと。明日になればすべてが変わる。オレは生まれ変わるんだ!」
私は心の中でつぶやく――そうお前はずっと待っていた。そして私も待っていたのだ――
時計の針が0時を迎え、新年が訪れた。
男の顔から緊張が解け、ゆっくりと喜びの表情が浮かび上がる。震える手が何度もカウンターを叩くと、うわ言のように言葉が流れ出した。
「自由になった。オレは自由になった。もう逃げ隠れしなくてすむ。長かった、本当に長かった……」
「××××さん、そうはいきませんよ」
男は私の言葉の意味を悟ると、突然立上がり、店の隅へとあとずさった。