『羽根ペン』-1
祖父の部屋には樫の一枚板で出来た、古い大きな机がある。
部屋は四方を書架に囲まれ、薄暗く、窓は天井にハメごろしの明かり取りが一つあるだけだ。机の表面にはうっすらと埃がつもっている。
祖父はここで一心不乱に、まるで何かにとり憑かれたように書き物をしていた。五十という若さで大学を退官したあと、研究に打ち込むためと称して家に籠り、私的な付き合いというものとは一切縁を切っていた。
祖父は、執筆にはいつも孔雀の飾り羽根が付いた豪奢な羽根ペンを使っていた。小振りなインク壺にペン先を浸しては書き、浸しては書き、白いシャツに飛び散るダークブルーの斑点や、袖口の汚れなどには一向に構うことがなかった。
私の父が祖父の出版記念に作らせた、金張りのモンブランはペンケースの中にしまい込まれ、祖父が亡くなる前年に私が送ったパーカーは、封を解かれることなく引き出しの奥で今も眠っている。
祖父はどうしたあの七色に輝く孔雀の羽根に、あれほどまでに魅入られてしまったのだろうか……。
私の父を含め、父の兄弟四人はすべて若くしてこの世を去っている。長男である父は家督を継いだ翌年、入浴中に心臓の発作でこの世を去り、すぐ下の叔父は避暑に出かけた外国で、酔ったアボリジニの運転するトラックの下敷きとなり、三男は何の前触れもなく突然、自邸の梁にロープをかけて我が身を吊り下げることになった。そして末娘でもある叔母は、わずかな金と引き換えに、深夜押し入った強盗に撃ち殺されてしまった。
我が家族の悲劇は四年間続き、心労がたたったのか、翌年、子供たちの後を追うように祖母も旅立っていった。
この我が家に訪れた、暗黒の年月は祖父に何の影響も与えなかったようだ。嵐のような五年の間に三冊の研究書を上梓し、その中の一冊は栄誉ある賞も受けている。末娘の告別式の会場で、執筆が大詰めだからと、挨拶もそこそこに席をたった、という伝説がまことしやかに残されている。
祖父のこの狂信的とも言える研究に対する情熱は、いったいどこから湧き上がってきたのだろうか……。
そして今、私は祖父の部屋にいる。父からこの屋敷を譲り受け、祖父の業績にひかれるように、民俗学の道を選んだ。四十歳を迎え大学教授への扉を自ら閉ざし、この部屋に籠った。
それもすべて、書架のうしろに巧妙に隠された祖父の日記に導かれた結果だった。
今ならわかる。祖父が何を望み、何を失ったのか。何を得るために、どんな方法で、何を犠牲にしたのかも……。
椅子の手触りはかすかに湿って、ひんやりと冷たく、座るとわずかにカビの匂いがした。
しばらく気持ちを落ち着けたあと、引き出しから黒檀の小箱を取り出した。中にはあの孔雀の羽根ペンが入っている。私の意思を感じとったのか、その七色の羽根毛は自ら波打ち、身をくねらせ、ドクッ、ドクッと拍動を繰り返している。
今の私には妻も子もなく、祖父のように家族を差し出すわけにはいかないが、私には私自身の命がある。研究者として名を残せないなら、永らえて生きる意味などないではないか。
私は一枚の紙をひろげ、傍らにインク壺を置いた。羽根ペンをつかむ手はすでに私のものとは思えないほど、白く、痩せて、干からびた木の枝のように見える。
そして、ペンは自らの意思で動き、インク壺に差し込まれる。もうそれは妖しい原色の虫のように、手の中で身悶え、キー、キーと歓喜の声をあげ続けていた。そして私の指は、私のペンは、こう記し始める。
『我、この命と引き換えに、《七色に蠢く者》との契約によりて、我が終生の望みを得ん……』
End