『ダイス』-1
私は見知らぬ繁華街を一人ふらりふらりと歩いていた。
十数年振りの同窓会もお開きとなり、三次会にくりだす約束の気の合う悪友ともどこで別れたのか、心地良い酔いとわずかに痛む頭を抱えながら、一人ふらりふらりと歩いていた。
『ふぉーくど』という店は目抜き通りの終わり近くにあった。
道路に面した壁には、カウベルのついた大きなドア以外に窓はなく、そのドアを囲むようにはめ込まれた磨りガラスが、ぼんやりと室内の灯を映し出して、遠目には薄暗がりの中に木目調のドアが浮かび上がって見える。
「ふぉーくど、そう、ふぉーくど……」
私はうわ言のようにつぶやくと、その店のドアを開けた。
店内は、濃い碧色の照明に満たされ、目隠しに置かれた観葉植物と柔らかな間接照明で、店の奥までは見渡せない。どこからか現れた黒服が、いらっしゃいませと奥の席まで案内してくれた。
客は左手にあるカウンターに二人、右手のボックス席には数組の客がいるようだが、微かな囁き声が聞こえるだけで確かなことはわからない。足首まで沈みそうなフロアを横切りながら、私は自分がずいぶん酔っているのだなと感じていた。
マイケル・ヌーナンの『追憶の日々』が静かに流れている……。
案内された席にはすでに一人の男が座っていて、私に気づくとわずかに微笑み、優雅な手つきで向かいの席に座るよう促した。黒服が引いてくれたイスに腰掛けながら、これは夢かもしれないと私は思いはじめていた。確か二次会が終わって、車に乗り込んだのは覚えている。悪友が運転すると言い張り、私は後部座席に追いやられ、助手席には学生時代にあこがれていたあの娘がいて……。
「人の心というものは複雑怪奇なものです」
黒いシルクハットに燕尾服という装いの男は、テーブルの上に置かれた本を手にとると、唐突に話始めた。
「人間を善と悪という2種類に分類するのは簡単なことではありません。確かに聖者もいれば生まれついての悪魔もいる。ただ大半はわずかにこちら側、わずかにあちら側といった人間たちなのです」
男は開いた本の上に指を這わせながら、そこに書かれている何かを確認しているようだった。
「ただ、最も問題なのは、そのどちら側でもなく、真ん中の塀の上をよろけながら歩き続ける人間なのですよ。そう、あなたのようにね」
頭の片隅で切れかけた電球のように、チカッ、チカッと記憶の断片が蘇る。そうあの時3人ともずいぶん酔っていた。特に運転していたあいつは。車を走らせたあと、どこをどう間違ったのか、山道に入り込み、急ぐあまりに下りの急カーブを曲がり切れず……。
後頭部を殴られたような激痛が走りぬけ、おもわず押さえた手のひらが何か温かいもので濡れるのがわかる。
「ルールは至極かんたんなのです」
燕尾服の男はポケットから2個のダイスを取り出した。
「私が最初になげます。次にあなたが投げ、ダイスの目の合計がわたしの出した数を上回ればあなたの勝ち、同数でもあなたの勝ち」
私はさっきまで流れていた音楽や、客たちの囁き声が消えていることに気がついた。
カウンター席の二人連れのカップルに目をやった途端、心臓が乱暴にギュッと握り締められ、息ができず、空気が急に粘度を増して、喉や鼻を塞いでしまった。