隣室 ……… 第三の物語-24
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はっと眠りから覚めたとき、あたりはすでに黄昏色に染まっていた。とても長い時間、わたしは夢を見ていた。
すべてが夢だった………何もかもが物語として夢に描かれていた。でもそれは、わたしの確かな記憶そのものに違いなかった。
わたしは安楽椅子から腰をあげる。樹木のあいだから微かに吹いてくる黄昏の秋風は心地よく、脳裏にぼんやりと残っている夢の残照を優しく撫でる。風景は紫色に覆われ、遠くに見える街の喧騒を沈黙へと導いている。
次の日、わたしは夢の中の記憶をたどり、ホテルの場所を訪れていた。
確かにこの場所だった。でも目の前にあの建物はなかった。わたしは夢の中に刻まれた風景を思い起こし、もう一度地図を確かめ、来た道を戻り、また引き返す。ふたたびその場所にたどりつく。やはり建物はなかった。夢の中で確かに訪れたこの場所に建物は跡形もなかった。夢で訪れ、あの男と関係をもった建物は架空の場所だったのか。
林に囲まれた小高い丘のその場所は公園だった。わたしはめまいに襲われたようにベンチにふらふらと座り込み、淡い光に包まれた街の風景を見る。目の前に拡がる風景はあのとき、窓から見えた風景と同じだった。
どうして………やはり夢は、夢でしかなかったのか。現実と夢が混ざり合うように不確かに交錯していた。
自問を繰り返していると、不意に背後から声がした。
「良いお天気ですね」
声の主は間違いなくあのホテルの老紳士だった。
わたしはここに建っていた建物のことを尋ねた。
「そんな建物はここにはありませんよ。ここは、もう何十年も前から静かな憩いの場所です」
でもあなたはあの建物の中にいたわ……と咽喉の奥から言いかけたとき、老紳士は言った。
「あなたと、どこかでお会いしましたでしょうか………」
夢に現われた男の何かがわたしの体の中で残り続けている。彼の視線も、彼の美しい指も、そして振り降ろされた鞭の感触も、まるで蜂蜜のような色の光の粒となってわたしの記憶に纏わりつき、わたしの心と体をもっともっと裸にしようとする。その光の粒は、わたしが忘れ去っていた恥部まで滲み込んでいた。