隣室 ……… 第三の物語-14
「学会はうまくいったのかしら」
夫に何気なく尋ねる。夫が隠していることを問いただすことなく、触れてはいけないものに遠回しに触れる聞き方は、夫婦のあいだのさざ波をあえてうやむやにしようとしていた。
夫があの部屋で女とどんなことをしているのか………夫の仮面、夫の道化、そして夫の欺瞞が薄らと漂っているように感じる。
「はい、予定どおり終わりました。珍しいですね、きみがぼくの仕事のことを聞くなんて」
「どなたかとご一緒だったの」
「いえ、ぼくひとりでしたよ。特別な学会でしたから」と夫は淡々と言った。
朝、夫はなにもなかったように歯を磨き、ワイシャツを着て、新聞を広げ、珈琲を啜り、わたしもまたベッドの中で感じた空白の体を引きずりながら衣服を纏い、台所に立つ。
充たされないことは、何も今、始まったわけではない。それなのに今は、充たされないことがわたしを淫らに息苦しくさせていた。夫と女、そしてあの男。彼らに刻みつけられた秘密によってわたしは置き去りにされ、体の奥の飢えだけが喘いでいる。
夫はあの部屋で女に首輪と手錠を嵌め、彼女の肉体に鞭を振り上げている。女は夫に鞭を手にさせるほど心も肉体もゆるしている。夫と女はわたしが想い描くことができないほど、わたしが知り得ないほど、すでに強い絆で結ばれているかもしれない。顔も知らない若い女に対する烈しい嫉妬は、まるで毒気が流れ出し、逆立ち、蛇の鎌首のようにうねり、わたし自身を虐げようとしていた。
夫のいない部屋、ひとりだけのベッド。わたしはベッドの中て下半身に手を這わせる。下着の上を指が滑り、太腿のつけ根の湿り気に包まれる。下着に包まれた陰毛の繁りが、かさかさと空虚な音をたてる。あのとき無残に炙られた陰毛は、わたしの淫らさを露わにするようにふたたび漆黒の息吹きを取り戻している。
無意識に蠢く中指と薬指が肉の合わせ目から遠い記憶を掬い出そうとする。夫は女とあの部屋で淫らな行為に溺れている………夫の不在の記憶がこれほど私を淫らに疼かせることが不思議だった。形骸化した夫婦という関係にあるそれだけの夫。でもわたしのものだった。わたしは女の若さに、わたしが失った若さに夫を奪われたくなかった。そう思う気持ちが空回りして宙に放り投げられる。その女は夫に欲望を生ませ、妻であるわたしにそれができない。そう思ったとき、あの若い男と無性に会いたくなった。もっともっと彼と秘密を持ちたかった。
夢の中であの男の体液を吸い取ろうと喘いでいた。わたしの中に溜まった女の淫らな盛りが、肌の毛穴から、髪の毛先から、そり返った足指の先から、陰毛の湿り気から膿のように滲み出すのを感じた。男がわたしを貫いてきた。もっと堅く、もっと深く、もっと烈しく………わたしの淫らな心の叫びだけが夢の中で木霊のように響いていた。夫の女への嫉妬が飢えを生み、飢えはわたしの体を嘲笑うように、失った歳月と色褪せた肉体だけを浮き彫りにする。