先生に-5
「あの、さっき近くに用事があるって…」
先生が声を掛けます。用事…。そう言えばお部屋に上がる前にそんなことを言ったことを思い出しました。先生のお部屋を訪ねるためだった口実を先生は真に受けてくれているようです。
「あ、もういいんです」
今度訪ねるときはもう口実は要らないでしょう…。
「それじゃあ、帰りますね。…K子には…黙っていますから」
「えっ…?」
先生が怪訝そうな表情を浮かべます。
(もう訪ねてはいけないのかしら…)
一瞬不安になります。
「それは、こんなこと、K子ちゃんには黙っていますが…それよりK子ちゃんとはもう会うこともないんじゃ…」
先生にこれからもK子の家庭教師を続けていただけることを確認していないことに気付きました。先生とはこれからもセックスできるということばかりが頭を占めていて…。
「高校になったらお勉強も難しくなるでしょうから、お月謝も上げさせてもらいますね」
「月謝? というと、家庭教師のことでしょうか?」
「ええ。いただいたご返事に書いていらっしゃらなかったので。…受けていただけますよね?」
お家でお月謝をお渡ししたときには乗り気ではないような先生でしたが、こんなことになったからでしょうか何もおっしゃいません。わたしは先生に来て頂く日を考えます。今日は日曜日…。
「先生は日曜日はいつもこちらにいらっしゃるのですか?」
「日曜日はここでだらだらしてますが…」
でも、日曜日は夫もたまには家にいます。ほかの曜日のほうがいいでしょう…。
「ほかの曜日でご都合のよい日はありませんか?」
「…あとは…何もないのは水曜日…」
「そうなのですね。日曜日も夫は仕事に行くことが多いのですが、たまには家におりますので…それでは、水曜日にお願いいたしますね」
先生が来てくださる日に夫がいては先生も気まずいでしょう…。何よりわたしが気まずいです。
「先生は手際がよくていらっしゃるから、論文を書くのと家庭教師と掛け持ちしても大丈夫ですよね?」
「主人も先生に、是非そのまま家庭教師をお願いしたらいいって申しているんです。四月に昇進してお給料も増えましたし。それで…もっと忙しくなったのよ」
年上の女…という感じを装って先生に迫ってみました。
「じゃあ、水曜日の、そうね…。K子が学園から帰って来て、ごはんを食べて、シャワーも浴びて…夜の七時からでいいかしら?」
「わかりました…」
先生は引き続き家庭教師を引き受けることを呆気なく承諾してくれました。
「では来週の水曜日からお願いしますね。よかったら先生もうちでごはんを食べていただいてもいいんですよ?」
「はぁ…。あの…それで…」
先生にはもう家族のように振舞っていただければ…そんな気持ちでごはんにもお誘いしてみましたが、やはりK子にどのような顔で接したらいいのか先生は少し戸惑ってもいるようです。
「大丈夫です。今日のことはK子には黙っていますから。その方が先生もあの子に顔を合わせやすいでしょ? あと…先生にカノジョはいなさそうってことも」
「えっ?」
「いらっしゃらないのでしょ? カノジョ」
今日はたまたま抱いてくれただけではないということを確かめたくて、そんなことを尋ねてしまいました。
「ええ…まあ…」
『カノジョ』がいないことを先生の口から聞けてわたしは安心しました。
「あの子ったら先生のこと、ちょっと気になってるみたいなんですよ。カノジョがいないのはあの子にはよい知らせなんですけど、なにせ高校入りたてですし、まだ色恋の話は早いでしょ?」
安心しているわたしの気持ちを隠したくてK子のことを持ち出してしまいました。わたしはいくらか正直に思いを伝えてみました。
「カノジョがいらっしゃったりしたら、わたしも寝ざめが悪くなってしまいますから…。そうでしょ、先生…。カノジョがいらっしゃるかもしれない男の人のお部屋にのこのこ現れるなんて…」
仮に『カノジョ』がいたとしても先生のお部屋を訪ねてしまうだろうと思いながら…。
「先生のお家、覚えちゃった。水曜日は一日何もないのでしたわね? また、お邪魔しますわね」
先生は頷いてくれました。いちばん大事なお話をしたのが変える間際だったことに自分でも可笑しくなってしまいました。
「じゃあ、失礼いたしますね」
わたしは先生のお部屋を後にして錆だらけの階段を下りていきます。浮き浮きした気持ちで…。振り向きたくなりましたが我慢しました。先生が扉を薄く開けて見送ってくれていなかったら寂しいから…。見送ってくれていたとしてもつい手を振ったりしてしまったら恥ずかしいから…。
先生のアパートに向かう前に立ち寄ったお花屋さんの店先を通ります。お花屋の奥さんがお客さんと話をしています。またあのお花を買って帰りお家にも飾りたくなりました。
(先ほどはお花をありがとうございました。おかげさまで、わたし、娘の家庭教師のアパートを訪ねてセックスしてきました…)
(まあ…それは。あのお花の花言葉は『………』なんですよ)
(そうだったのですね。どこか惹かれるものがあって…)
(素敵な日曜日になってよかったですね…)
わたしは奥さんとの卑猥な会話を妄想します。でも、またお花を買いに立ち寄ったら現実の奥さんは怪訝に思うでしょう。
(来週にまた来ますね…)
歩いている間にまた下半身が潤みを増してきたようです。そんな下半身の感覚が先生とのセックスがもう妄想ではなく現実のものになったことを教えてくれます。わたしは駅に向かって歩いていきました。