杏奈と健 〜 献身 〜 -27
明日香はその姿を見て
「アハハッ!ハハハハハハッ!」
涙を溢しながら高笑いを始めた。
そして跪き
「勝てっこないじゃん、こんなの···」
そう言って嗚咽を上げ泣き始めた。
騒ぎを聞きつけ、近所から人が集まり始めた。
遠くに救急車の音が響いてきていた。
人だかりを見つけ、父親が叫ぶ。
「誰か!警察呼んで下さい!お願いします!誰か警察を!」
健はずっと両手で杏奈の頬を包んでいた。
杏奈の腹に突き刺さったナイフの回りから血が滲み出て、杏奈の服を真っ赤に染めていた。
「抜かなきゃ。」
健がナイフに手を伸ばしたその時だった。
「抜くなっ!健っ!出血が酷くなるっ!」
父親が静止した。
救急車が到着し、杏奈がストレッチャーに乗せられようとしていた時にパトカーが数台到着し、警官がわらわらと飛び出して来た。
明日香はパトカーへ。
杏奈は救急車に乗せられ、運ばれて行った。
父親も健も杏奈に付き添って救急車に乗っていた。
健は救急車の中でも
「なんで?なんでだよ。杏奈。」
そうずっと呟いていた。
父親は黙って杏奈の手を握り締めていた。
杏奈の意識は次第に混沌としていた。
病院へ着くと、すぐさま処置室へと杏奈は運ばれ、暫くすると担当医から説明があった。
傷口が深く、刺さったナイフを抜くには手術が必要だと説明した。
手術への同意書を渡され、父親はすぐにボールペンを借りて署名した。
杏奈はストレッチャーに乗せられ、手術室へと運ばれていった。
すでに意識はなかった。
「杏奈!杏奈!」
健の呼びかけに杏奈が反応することはなかった。
父親は手を合わせ祈っていた。
手術室のランプが点灯したタイミングで咲良を抱いた母親が駆け込んできた。
「どうしてっ?どうしてこんなことにっ!」
健は母親の前へ立ち、ただ頭を下げた。
母親は父親に咲良を預けると、健の頬を思いっきり叩いた。
パァン!と音が響いた。
「アナタがっ!アナタがあんなことしなきゃっ!こんなことにならなかったのよっ! 心が傷ついたのはあの子なのにっ!なんで身体まで傷つけらなきゃいけないのっ?!どうしてっ?!」
母親はそう言って泣き崩れた。
健は返す言葉がなく、ただ大粒の涙を浮かべていた。
父親が咲良を抱いたまま、母親の背中へ手を置いた。
「母さん。杏奈が進んでしたことなんだよ。わかってやってくれ。」
父親はそう言って母親の背中を擦り始めた。
健は跪き、声を上げて泣いていた。
手術は3時間以上続いていた。
健と父親、母親は待ち合いのベンチに並んで座り、ただ手を合わせていた。
「ピンッ!」と小さな音がして、見上げると手術中のランプが消えていた。
手術室の自動ドアが両横へと開き、担当医が出てきた。
健と父親、母親も立ち上がり、担当医の元へ歩み寄った。
「傷口はとても深かったです。
出血もかなりのものでした。
しかしながら内臓をうまく避けていてくれた。
内臓が傷つかなかったのはラッキーでした。
傷口が深かったため、何層にも縫合してあります。
時間が経てば溶けてなくなる糸を使っています。
肌表面の抜糸は必要ですが、命の危機は脱したと思っています。
後は感染症さえ起こさなければ···
暫くICUになりますが、面会は出来ますので、お付き添い下さい。」
そう説明して手術の担当医は深々と頭を下げ、立ち去って行った。
「ありがとうございます!ありがとうございます!」
三人は立ち去る担当医に何度も頭を下げ見送った。
暫くするとストレッチャーに乗せられて杏奈が出てきた。
母親が近寄ろうとする健を突き飛ばすようにして杏奈に駆け寄った。
杏奈の手を握りしめ
「杏奈。ごめんなさい。ごめんなさいっ!」
母親はただ謝り続けた。
看護士が「お部屋へ参りますので」と促すまで母親は杏奈にすがりつくように、ただ謝り続けた。
母親は父親に肩を抱かれ、健と共に杏奈を見送った。
咲良は健に抱かれ、何事もないようにしてスヤスヤと眠っていた。
集中治療室の中で眠っている杏奈の姿を健はその入り口でずっと見守っていた。
付き添えるのは家族一人と定められていたからだ。
身の周りの世話が出来るのは母親が適任と判断し、室内での付き添いは母親がしていた。
それでも健は杏奈の側に居たくて、ガラスで仕切られた部屋の外からずっとその姿を見ていた。
その内に警察が事情聴取に訪れ、現場にいた健と父親は個別に事情を聞かれていた。
健は全て自分が撒いた種だと責任を説いたが、傷害事件では委託でない限り、手を下した者しか裁く事は出来ないと刑事に諭されていた。
後日改めて事情聴取を行いたいので、指定された日時に警察署へ出向いて欲しいと言われ、了承した。
父親はここにいても病院に迷惑だし、明日は仕事があるからと帰って行った。
父親と警察が帰った後、咲良はグズり始めた。
同じ場所で変化もなく抱かれている事に飽きているようだった。
健はグズる咲良を高い高いをしたり、揺らしてみたりしたが、効果はなかった。
大きな声で泣かれては病院に迷惑がかかると思い、外へ連れ出してみても効果はなく、オムツを変えてみたり、オヤツを与えてみたりしたが、咲良が泣き止むことはなかった。