杏奈と健 〜 献身 〜 -26
「今、朝日公園にいる。出てきて!」
明日香はそう言い放つと電話を切った。
「朝日公園···」
健は呟きながら電話を切った。
朝日公園とは健の家から歩いて2〜3分のところにある児童公園だった。
咲良を連れてよく遊びに行く所だ。
明日香はわざわざ出向いて来ている。
電話をかけ直して帰れとは健には言えなかった。
「杏奈。彼女、すぐそこの朝日公園に来てる。
僕、話してくるよ。
誠心誠意謝って、ちゃんとわかって貰うから。」
そう言うと健は部屋を出て行った。
杏奈は咲良を抱いたまま健を見送ったが、妙な胸騒ぎがした。
すぐさま一階へと駆け降り、リビングでテレビを見ていた父親と母親に咲良を差し出すと、母親が咲良を受け取った。
「健、あの人に朝日公園へ呼びだされた!なんか心配だから見てくる!咲良お願い!」
杏奈はそう言うと家を飛び出し、自転車を走らせていた。
公園のブランコに明日香の姿があった。
健は家から走って来たため、少し息を切らしていた。
小さな公園だが、四隅に街灯が点き、暗がりではあるものの、顔の表情は見て取れた。
健が公園に入ってくると、明日香はブランコから立ち上り、キッと睨むように健を見つめた。
健は明日香のその表情を確認すると、近寄りながら
「明日香。ゴメン。本当にゴメン。僕には家族を捨てる事が出来ない。君との事がバレた以上、このまま関係を続ける事は出来ないんだ。許して欲しい。」
そう言いながら明日香の前へ立った。
「なんで?なんでみんないつもそうなの?私じゃダメなの?私はダメな女の子なの?!」
明日香は叫ぶように訴えた。
「違う!そうじゃない!明日香はすごくいい子だ!愛されるべき人だ!僕がズルいんだ!僕が君を騙した!」
健は本当にそう思っていた。
「健君、愛してるって言ったじゃない!アレ、嘘だったの? あんなに深く愛し合ったじゃない!ほんの2〜3日前の事だよっ!アレも嘘だったのっ?!」
明日香の声は大きく響いていた。
「嘘じゃないっ!。嘘じゃなかったんだ。あの時は。でもダメなんだ。僕は今の家族を捨てられない。ごめん!わかって欲しい!」
ひどく勝手な事を言っていると健は思った。
それでもそう言うしかないと思った。
「じゃあ何で?何で私は捨てるの?
意味わかんないっ!
わかんないよっ!私っ!」
明日香は両拳を振りながら大きく叫んだ。
「ゴメンよ。明日香。僕が、僕が全部悪いんだ。僕は君に謝ることしか出来ない。」
健はそういって頭を垂れた。
明日香はその健の姿を見て、益々怒りが湧いてきた。
「何?あのメッセージ。元彼とおんなじ文句。最低最悪だよ。なんでいつも私ばっかり。他に幸せそうな人、いっぱいいるのに。私だって幸せになりたいのに。なんで?なんでなの?」
握りしめた拳を震わせながら明日香は健を睨みつけていた。
「今度こそ幸せになれる相手見つけたと思ってたのに。奥さんいても、子供いても良かったのに。健君だけいてくれれば、それで良かったのに···」
明日香の目から大粒の涙が流れた。
明日香が肩から下げていたバックを開いた。
そしてその中から何かを取り出した。
薄灯りに明日香の手元がキラリと輝いた。
明日香の手には果物ナイフが握られていた。
「ダメだよ。健君。私、もう健君ナシでは生きていけない。健君を忘れる事なんて出来ない。そんなの無理。だから···だから··」
健は身動きが出来なかった。
いや、しなかった。
明日香の想いが痛いほど伝わってきていた。
僕がこの子をダメにした。
僕がこの子を追い込んだ。
罰は受けなきゃいけない。
そう思っていたのだ。
明日香が走って来た。
腰の位置にナイフを真っ直ぐ突き立てて。
健はそっと目を閉じた。
受け止めなければならない。
そう思っていた。
「健っ!!」
誰かが叫ぶ声が聞こえたその瞬間、健にドンッ!と衝撃が加わった。
健は突き飛ばされ、横へ倒れた。
衝撃で座り込んだ瞬間、閉じていた目を開けると、目の前に杏奈の姿があった。
明日香の突きつけた刃は杏奈の下腹部を深く突き刺していた。
明日香も驚いた表情を見せる。
「なんで?なんで···」
驚いた明日香は咄嗟に握っていたナイフから手を離した。
健もなぜここに杏奈がいるのか、なぜ杏奈に刃が突き立てられているのかわからなかった。
「杏奈···どうして···」
明日香の突き立てた刃をもろに腹で受け止めた杏奈はその場に崩れ落ちた。
明日香は呆然とし、杏奈を見下ろしていた。
その時だった。
「杏奈っ!」
父親の声が響き、駆け寄ってきた。
杏奈の背後から肩を抱くと
「健っ!救急車!早く救急車呼べっ!」
健はようやく我に帰り、スマホで救急車を要請した。
そして杏奈に駆け寄り
「なんで? 杏奈っ!なんでだよっ!」
健は両手で杏奈の頬を包み、そう聞くことしか出来なかった。
「だって、健はアタシが守るって言ったでしょ?···」
杏奈はそう言って健の頬へ手を伸ばした。