杏奈と健 〜 献身 〜 -25
それから健と杏奈は咲良を挟んで川の字に横になっていた。
片膝をつき、健は咲良の頭を撫でていた。
「可愛い。咲良、ホントに可愛い。」
そんな健の姿を見て、杏奈は幸せそうに笑みを浮かべていた。
健と杏奈は咲良を挟んだまま、眠りに落ちていた。
それは安堵感を伴って深いものになっていた。
窓から射す陽は大きく傾き、部屋をオレンジに染めていた。
先に目を覚ましたのは咲良だった。
咲良は起き上がり、「マンマ、マンマ」と杏奈を揺り動かしていた。
それに杏奈が反応するように起き上がり、その気配で健も目を覚ました。
「ヤバ···めっちゃ寝てたし···」
健が口を開く。
「もう夕方だね。」
目を擦りながら杏奈が呟いた。
「健。咲良見ててくれる? 夕飯の準備しなきゃ。」
そう言うと杏奈は部屋を出て、一階のリビングダイニングへと向かった。
ダイニングでは母親が忙しく夕食の準備をしていた。
「お母さん、ごめんなさい。咲良と一緒に寝ちゃってた。」
杏奈がそう母親に声をかけると
「そうだろうと思ってた。気にしなくていいよ。お父さんとお買い物行って、準備出来てるから。」
そう言って母親は優しく杏奈に微笑みかけた。
「今夜は何作るの?アタシ手伝うよ。」
杏奈は髪の毛を纏め始めた。
「寒くなって来たから、お鍋にしようと思って。杏奈、じゃあ、白菜出して切ってくれる?」
母親はそう言ってストッカーを指差した。
「ん。わかった。」
杏奈はストッカーから白菜を出して、サッと水洗いをして、まな板へ置いた。
「お母さん。」
白菜を切り分けながら杏奈が呟いた。
「なあに?杏奈。」
母親は冷蔵庫から焼き豆腐やシラタキを取り出しながら振り向いた。
「健、今の人ときちんと別れるって。」
杏奈は母親の目をジッと見つめながらそう告げた。
「そう。揉め事にならなきゃいいけど。」
母親はそう心配そうに答えた。
「だね。健は誠心誠意尽くしてわかって貰うって言ってる。」
杏奈がそう返すと
「そうだね。それしかないよね。」
母親は頷くように答えた。
「アタシは健を信じるから。お母さんも健を信じて欲しい。」
白菜を切り分けていた手を止めて、杏奈は母親を見つめて訴えるような目で母親に言った。
母親の目から涙が溢れた。
「杏奈···実の親より愛情が深いなんて···」
そう呟くと母親は掌を口に当て、震えように涙を流した。
「だって、アタシ、健だけだから。咲良にも健だけだしね。」
杏奈はそう言って微笑んだ。
そこには一分の迷いも感じられなかった。
母親は冷蔵庫から取り出した材料をシンクに置くと、杏奈を後ろから抱きしめた。
「杏奈が私の娘で良かった。本当に良かった。」
そう言って抱きしめた腕に強く力を込めた。
杏奈は持っていた包丁を置き、その抱きしめられた母親の腕に手を添えた。
「アタシはずっとお母さんがお母さんで良かったって思っているよ。」
そう迷いなく答えた。
ふと人の気配がしてダイニングの入り口に目をやると、父親が立ちすくみ、目から溢れ落ちる涙を拭っていた。
「ヤダ!お父さん!見てたの?」
杏奈がビックリして声を上げた。
「厭らしいわね。スケベ。」
母親が戯けて言うと
「厭らしいって何だよ。覗きたくて覗いてた訳じゃないゾ。」
父親は笑顔を浮かべながら溢れ出る涙を拭っていた。
父親はそのままリビングへと歩き、ソファーに深く腰を降ろしテレビをつけた。
杏奈と母親はその姿を見て、お互いに目を合わせ、笑っていた。
そこには確かな家族の絆が見て取れた。
ダイニングのテーブルには季節の蟹やキノコが並び、豪勢な鍋の準備が出来上がっていた。
杏奈は健と咲良を呼びに行き、後ろに引き連れてテーブルについた。
気まずい雰囲気はもうそこにはなく、いつもの普段通りの食卓が始まっていた。
父親は鍋で程良く温まった蟹を健の取り皿へ装おったり、普段通り接していた。
健が「ありがと」と言うと、父親は「熱い内に食べろ」と勧めていた。
杏奈はそんな家族の触れ合いに幸せを感じていた。
ベビーベッドの中で咲良は立ち上り、膝を折ってはピョンピョンと跳ねていた。
杏奈は「お豆腐なら食べれるかな?」と言ってフーフーと冷ましては咲良に食べさせていた。
会話は少なかったが、笑顔で鍋をつつく穏やかな時間が流れていた。
それは家族での穏やかな食卓の片付けが終わり、咲良を連れて部屋へ戻った時だった。
健のスマホが着信のベルを鳴らせた。
健がスマホを取ると、「アスカ」と表示されていた。
暫く出るのを躊躇ったが、健は心配そうに見つめる杏奈に大きく頷き、電話に出た。
「もしもし···」
健は普段より重い口調で語りかけた。
「健君?
LINE見た。
何アレ?
アレで終わらせるつもり?
何考えてるの?
私たちってそんな軽いものだったの?
ふざけないでよっ!」
電話の向こうで明日香は熱り立っていた。
「ゴメン。本当にゴメン。
許して貰えるなんて思ってない。
でも本心なんだ。
君の愛情に応えることは出来ないんだ。
わかって欲しい。」
健は杏奈の顔をチラチラと見ながら頭を下げて明日香へ訴えた。
暫く無言の時間が続いた。