杏奈と健 〜 献身 〜 -23
泡を流し終わると、健が先に湯船に浸かり、杏奈は健に背を向けて、健にもたれかかるように湯船に浸かった。
そして健の腕に杏奈の手を添わせ、その腕を撫で始めた。
「ねぇ、健。一つだけ教えて。」
杏奈はもどかしそうに口を開いた。
健はもう隠し事をするのはゴメンだと思っていた。
「うん。」
健は小さく頷いた。
「健が他の女の人と関係持つようになったのって、大学で怪我した時?」
健は驚いた。
心が凍りついたような気分だった。
「知ってたの?」
健はそう答えるしかなかった。
「なんとなくね。その頃から健のセックス、気持ちが入ってない気がしたから。」
健は杏奈には勝てないと思った。
怪我をした自分を呪い、勝手気ままに女を抱き、あまつさえ合宿で家族と離れた寂しさを他の女とのセックスで紛らわせていたなんて。
普通に考えれば、許される事ではない。
その普通の考え方が当時は出来なかった。
健はその時の思いをつぶさに杏奈へ伝えた。
杏奈は小さな声で
「言って欲しかった。
言葉にして欲しかった。
そしたらアタシ仕事休んででも駆けつけたのに···
これからは絶対に言ってね。アタシたち夫婦なんだから。
全部何でも言って欲しい。」
そう言って杏奈は健の手の甲に唇を寄せた。
「今の人、どうするつもり?」
杏奈は振り返って健の目を見つめた。
健は間髪入れずに「別れる」と告げた。
その目に嘘はないと感じた杏奈は健の胸に背中を預け
「でも長いんでしょ?素直に受け入れてくれるかなあ?」
杏奈にそう言われると自信はなかった。
「でも僕には杏奈や咲良が大事だから。わかって貰えるまで説得するよ。僕が全部悪いんだから。」
杏奈は「そっか。」と言うと、それ以上は何も聞かなかった。
杏奈は湯船からスクッと立ち上がり、「部屋行こっ!」と健に手を差し伸べた。
その手を健は取り、風呂場を後にした。
脱衣場で濡れた身体を拭き取ると、杏奈はドライヤーで髪を乾かし始める。
健はそのシーンも懐かしさを感じながら杏奈の動きを見ていた。
使い終わったドライヤーのコードを器用にクルクルッと巻き取り、元あった場所へ納めると、杏奈は着ていた服を洗濯機へ詰め込み、洗剤と柔軟剤を入れ、スイッチを押した。
そして健の手を取り
「健。お姫様抱っこして?」
そう求めてきた。
高校3年生の時の記憶が蘇る。
あの時は健のほうからそれをした。
そんな事さえ忘れていたのか···
健は杏奈の腰へと手を回し、横向きに抱き上げた。
杏奈は健の表情を食い入るように見ていた。
「ヤッパこれだよねぇ〜♪ずっとして欲しかったんだ。でもお父さんやお母さん居るとなかなか言えないしね。」
杏奈は困ったような笑顔を浮かべ、そう呟いた。
「だったらこれからは部屋でしようよ。咲良なら見られても恥ずかしくないでしょ?」
健がそう返すと
「そかっ!健、あったまいぃ〜!」
杏奈は満面の笑みを浮かべ、健の首へ腕を回した。
洗面所は横向きに進み、廊下へ出ると杏奈を揺らしながら踊るようにして歩いた。
階段では杏奈の足が手摺に当たらないよう注意して斜めに身体を捻るように昇って行った。
そしてドアの前へ立つと、杏奈がドアノブを引き、ドアを開け放った。
部屋へ入ると、健は真っ直ぐにベッドへと向かい、杏奈を横たえた。
その時だった。
目眩を覚え、健はベッドへ手をつき、膝を折った。
咄嗟に杏奈がその様子を見て、健の額に手を当てる。
「やっぱり。健、熱あるよ。さっきから身体も熱いと思った。
ちょっと待ってて。体温計取ってくるから。」
そう言うと杏奈は一階へと降りていき、バタバタと戻って来た。
熱を計ると体温は38度7分あった。
完全に健は風邪をひいていた。
杏奈は忙しく保冷剤をタオルに巻き、健の枕へセットすると、冷えピタを健の額に貼った。
買い置きの風邪薬を持ってきて、白湯で飲ませてくれた。
「ごめん杏奈。何から何まで世話ばっかかけちゃって。」
健は本当に申し訳なく思っていた。
杏奈から風呂へ誘うという事は、たぶんその気だったのだろうと想像できた。
しかもいつかのように風呂を出ると二人で裸だったのだ。
繋がる事で気持ちを確かなものにしたかった。きっとそうに違いない。
なのに僕は風邪をひき、熱を出して倒れてしまった。
最悪だ。僕は···
なのに杏奈は献身的な介護さえ厭わない。
健は熱に魘されながら、そんな考えを巡らせていた。
感謝しても仕切れないと思った。
「健?大丈夫?お粥って程でもないと思って、雑炊作って来たの。食べられる?」
暫く部屋から出ていた杏奈が帰って来てそう言った。
発熱により節々に痛みもあったし、ほんの一時間ほど前に杏奈の料理を食べたばかりでそれほど腹は減ってなかったが、せっかく杏奈が作って来てくれたのでベッドから出て、フロアテーブルについた。
テーブルには大根や人参の入った卵フワフワの鳥出汁雑炊が置かれていた。
「熱いから気をつけてね。」
杏奈はテーブルに頬杖をついて微笑んでいた。
「うん。ありがと。」
そう答えて雑炊をレンゲにすくい取り、フーフーと冷ましてから口にした。
それはかつて健が小さい頃に熱を出すと母親が作ってくれた雑炊と同じ味がした。