杏奈の気持ち 〜 秋陽 〜 杏奈と健-54
お母さんはそう言うと、口に手をあて、笑みを浮べながらお父さんと目を合わせていました。
お父さんはウンウンと頷きながら笑みを返していました。
アタシはお母さんの言葉に「えっ?!」と声を上げて驚き、そして健の顔を覗き込んでいました。
いつも健が聞いていたあのギターの曲、アタシの名前が入ってたから聞いてたの?
そんな思いでした。
「レース前にアレ聞くと、逸る気持ち抑えられるから···」
健は益々恥ずかしくなったみたいで、より、いっそう肩を窄め、俯いていました。
アタシは
「全部知ってて黙って見てたの?」
と聞き返しました。
その言葉にお父さんが反応します。
「そりゃあそうだろ。こっちに何か出来る訳でなし。本人同士が気づかなきゃ。でも、あんまり心配はしなかったよ。お前たち、真剣に想い合ってるっていうのは見え隠れしてたからな。」
お父さんはそう言うとお母さんの肩に手を乗せながら笑みを浮かべました。
「私たち、あなたたちを信じてるから。」
そうお母さんが言った時でした。
アタシの目から大粒の涙が溢れ落ちました。
意図した涙ではありませんでした。
次から次へと湧いては溢れ落ちます。
「泣くことじゃないわよ。めでたいんだから。」
そうお母さんが言うと、アタシはもう我慢できなくて、嗚咽を上げて泣き崩れました。
そしてお母さんの前に跪き
「お母さんとお父さんで良かったぁ〜」
お母さんに抱きついていました。
ふいに背後に健の体温を感じて、健が寄り添い、背中を撫でてくれているのを感じました。
お父さんはお母さんに
「ベストカップル誕生だな。」
と語りかけるような優しい声で讃えていました。
「これ以上のカップルなんて、探してもいないでしょ。」
お母さんはとても優しい声で返していました。
「ありがとう。父さん。母さん。」
健は流れる涙を拭いながら感謝の気持ちを素直に口にしていました。
「お互いを大切にな。あ、でも学生結婚はダメだゾ。ちゃんと社会に出てからだからな。」
そうお父さんが念を押してくると
「ソコは厳しいんだ···」
とアタシは返していました。
「そりゃそうでしょう。」
速攻でお母さんが相槌を入れると、なんだかそれが可笑しくて、みんな笑顔になれました。
暫くすると、お父さんは思い出したように
「おっ!片付け片付け」と言いながら席を立ち、自分たちの部屋へ行ってしまいました。
健もお母さんと一緒に居るのが照れくさかったのか、「受験勉強しなきゃ」と二階へ上がってしまいます。
アタシはお母さんの膝にもたれかかるようにしていたのを、お母さんの横へと座り直し、それでも手は繋いだままでした。
「私ね···」
お母さんから話し始めました。
「私、杏奈と初めて合った日の事、今でもはっきり覚えてる。」
「私、前の旦那さん、事故で亡くしたの。」
お母さんがウチに来る前の事を話すのは初めてでした。
「それは健が産まれて一年も経ってない頃の事でね。その人はトラックの運転手さんだったんだけど、私の親が病気で死んで、その人は幼馴染みだったんだけど、親が死んでからも、ずっと私を支えてくれた人だった。
ちょうどその頃、仕事が忙しい時期でね。その人は私達の生活が少しでも楽になれば、と入ってくる仕事、全部断らなくてね。無理ばかりしてたの。
事故の原因は居眠り運転だった。単独事故だったけど、即死だったの。」
お母さんはとても遠くを見るような目で話し始めました。
「杏奈も知ってる通り、私には他に家族も居なくて、産まれたばかりの赤ん坊抱いて、私は途方に暮れた。
補償も充分ではなかったから、とにかくどうにかして生きていかなきゃ、そう思ってたの。
そんな時、求人情報誌にお父さんの会社が募集を出してた。
会社が困っています。お力を貸して下さる方を求めています。
事務員さんの募集です。って。
面白い書き方だな、って思ったんだけど、お母さん、商業高校出で、元は事務の仕事もしてたけど、その前に十何社と面接受けても小さな赤ん坊抱えてるってだけでOKもらえなくてね。
どうせダメだろうな、ここでダメだったら、水商売でも何でもしなきゃ、って気持ちで取り敢えず受けたの。面接。
その時にね。お父さんが面接してくれて、健も含めて来て下さいって言ってくれたの。
私にはお父さんが神様にしか見えなかった。
入社した後も何かにつけて気にかけてくれて。
その内お父さんも奥さん亡くされて、小さなお子さん育てながら仕事してるって聞かされて。
他人だと思えなくなっていたの。
だから私から頼んで、杏奈ちゃんに逢いたいって言ったんだよ。
お父さんて、ホントそういうとこ気が回らないでしょ?」
アタシはホントそうだな、って思って、「ウン」と答えました。