杏奈の気持ち 〜 秋陽 〜 杏奈と健-4
アタシは健を救ったヒーロー気取りで、パンパンと両手を払いながら「二度とやるんじゃないわよっ!」と捨てゼリフを決め込んでいました。
それは座り込んで泣いている健を安心させたかった気持ちもありました。
健はそれでも座り込んで涙を拭っていたので、「またトイレ、言えなかったの?」
と出来る限りの笑顔で優しく聞きました。
健は声が出せず、ただ頷くだけだったので、優しくしてあげなきゃ、という思いしか頭に浮かばず
「仕方ないなぁ。健、人見知りだから。」
そう言ってモシャモシャっと健の頭を撫でて、「帰って、一緒にお風呂入ろっか!」と他へ注意を引き付ける作戦に切り替えました。
アタシはトトロの歌を歌い、「歩こ、歩こ♪ アタシは元気ぃ〜」と健の手を引っ張りながら帰りました。
家へ着くと誰もいなくて、掃除の家政婦さんも帰っちゃったのか···と思いましたが、涙と鼻水で真っ黒な顔をしている健が心配で、アタシは玄関を入るとすぐにランドセルを置き、健の手を引いて、そのままお風呂場へと向かいました。
大勢に囲まれてイジメられた健は、その怖さからずっと震えていました。
よく見ると手足も砂と埃だらけ。
アタシは自分の服を脱ぎ、健の服を脱がせ、ブルブルと震える背中を押してお風呂場へ入りました。
健の後ろから顔にお湯がかからないように細心の注意を払いながら、頭から温かいシャワーを浴びせ、「泥だらけになってもたいじょうぶ〜♪せっけんつけて、ゴシゴシゴシ♪ほうら♪こんなにキレイになぁ〜ったぁ〜♪」と即興の歌を歌って健を綺麗に洗い上げました。
その歌が面白かったのか、健は跪いて泡だらけにしているアタシを見つめ、少しだけ笑ってくれました。
やっと笑ってくれた。
それが嬉しくて、アタシは健を抱きしめていました。
「健。大丈夫だよ。お姉ちゃんが絶対守ってあげるから。大事な大事な弟だから、お姉ちゃんが絶対守ってあげるからね。」
健は笑顔で「うん。」と頷いてくれました。
アタシは再び健を抱きしめて、「だいじょーぶ。だいぶーじょ♪」と背中をポンポンと優しく叩いていました。
健の顔に笑顔が戻り、アタシは幸せな気持ちになりました。
その事があってから、アタシがお尻を蹴っ飛ばした男の子の親から学校にクレームが入り、ウチの親が呼び出される事態にまで発展しましたが、お母さんは学校では深く頭を下げ、謝罪していましたが、アタシには「健を守ってくれたんだよね。杏奈、ありがとね。」とお母さんはアタシを強く抱きしめてくれました。
この人は本当にアタシを愛してくれている。本当のお母さんなんだ、と強く思うようになりました。
健は小学2年生の頃までは何かあると休み時間にアタシの教室前の廊下でアタシの姿を探すように立っている事もありましたが、健が3年生にもなると友達も増え、家以外ではアタシと遊ぶことも少なくなって来ていました。
アタシが小学5年生になった頃、アタシは身体的には早熟で、胸の膨らみがハッキリとして来ました。
お母さんはそんなアタシに小児用のスポーツブラを買ってくれて、折りに触れ、男の子と女の子の身体の違いを説くようになりました。
それはアタシに女の子としての意識を持つように、という配慮からでした。
わかり易く漫画で性教育を教える本なども買ってくれて、アタシはそういう事を初めて意識するようになりました。
だからといって健に対する気持ちは何も変わりませんでした。
健はアタシが守る。
何かあったら、必ずアタシが守るんだという気持ちはずっと強くあったのです。
初潮を迎えたのは6年生になってすぐの時でした。
お母さんはそれも優しく教えてくれて、大人になったのよ、と抱きしめてくれました。
そっか、大人なんだ。
大人の仲間入りしたんだ。
何にでも責任もたなきゃな、と強く感じるようになりました。
その頃、友達の中には、休日の家庭料理なんかを親と一緒にやっているという話を聞いていて、アタシもそれやりたい、とお母さんに提案しました。
お母さんは快く承諾してくれて、お母さんが仕事休みの土日には一緒にお料理をする事が増えていきました。
時には健も手伝ってくれて、一緒にケーキを焼いたりもしました。
お母さんは健には頭を撫でる程度なのに、折に触れ、料理が上手に出来ると、お母さんはアタシを抱きしめてくれる。
それは軽いものだったけれど、お母さんのさりげない愛情表現がとても心地良くて、いつも心癒されていました。
アタシが中学へと進学すると、健は5年生。
その頃には健も友達が毎朝家の前まで迎えに来るようになり、次第にアタシと遊ぶことも無くなり、休日も友達と忙しく出かけるようになって、たまの家族旅行以外はほぼ接点がなくなるようになりました。
アタシの役目はもう終わりなのかな?
健にはもうアタシはいらないのかな?
そんな寂しさを感じるようになりました。
笑顔で友達とはしゃいでいる健の姿を見るのは嬉しかったけれど、どこかに寂しいと感じるものがあったのは確かです。
アタシが中学3年生になると、健が1年生として同じ学校へと再び通うようになりました。
でも健と一緒に通学する事はほとんどなく、友達と一緒に駈けて行く健の姿をいつも後ろから見るようにして毎日を過ごしていました。