あとがき-1
まずは、御愛読頂き有難う御座いました。稚拙な文章やわかりにくい表現もあったと思いますが、平にご容赦くださいませ。
趣味として昨年の秋頃から小説を書き始め、六作目となったのが、『熱帯魚の躾方』です。素人裸足で何も勉強せず、気の向くままスマホで書き始めたました。以前の作品は、SFファンタジー、恋愛、ミステリーなどで、最大10万字程度の小説ばかりでした。(そちらは某サイトで公開しております。著者名は内緒です。)
個人的には官能小説が一番好きで、いつかは書きたいと思い筆を取ったのが『熱帯魚の躾方』でした。
自分の性癖や実際に経験してきたSMプレイをそのまま投影していくのは、少々気恥ずかしいところもありました。少年期からSMの魅力に取り憑かれ、未だにその魔力から解放されない自分を小説の中にぶつけていきました。
脅迫から馴致していったり、暴力的な行為を背景にしたSM作品が多い中、純粋な愛情を表現出来るSM作品を書いてみたい。プレイ内容はありのままに、どろどろとした欲望の中から一粒の愛のダイヤを手にするように、表現出来たらと思いました。
こんな小説誰が読んでくれるのだろう?無事に掲載して貰えるのだろうか?プライバシーがバレたらどうする?(私は自営業です。)
色々な心配事を抱えながら、早朝や仕事の合間に執筆を重ねて行きました。
プロットはあまり考えず。流れのまま、気持ちの趣くままに書いていきました。主人公の菰田拓哉のモデルは、私自身をイメージしていますが、ヒロイン中山沙莉のモデルは内緒です。
筆を進めていく中で段々とヒロイン像が固まっていく感じでした。ゆっくりと奴隷的主従関係から愛情のある主従関係へと、変化していきます。
鶴賀美羽との出会いも実際に私が経験したことをモデルに書いています。実際に真賀温泉館へ初めて当時の彼女と行った時に幕湯の前で二十歳そこそこの美少女に「一緒に入ってもらえますか?」と声をかけられたのです。微妙な関係にある美羽はその美少女をモデルにしています。拓哉には奴隷に近しい存在、沙莉には妹であり親友でもある存在。物語の中盤には欠かせないキャラクターとなりました。
また、小説の中に小説を落とし込み。更に映画に落とし込むのは、物語の中盤あたり「温泉旅行」で思いつきました。自分をモデルに書かれた小説のヒロインを映画で自分自身が演じる。現実には中々有り得ないことですが、実際にあればどうなるでしょう。
ジェンダーレスから更に多様化が認められる時代になりましたが、SMという特殊な愛の形は公序良俗からは外れてしまうものであり、普通の人からすれば、「変態」と揶揄されてしまう行為です。
私も実名はおろか、他の小説作品と同じように友人や知人に紹介出来ないもどかしさを感じています。
でも、そういう世間から認められないもどかしさが魅力となって、官能小説には宿るのでしょう。
皆様は、この小説を読まれてどのように感じられましたか?
自分の中の何かが目覚めるようなことはありましたか?
そういう何かが少しでも残せたら物書きとしては本望です。
御愛読ありがとう御座いました。
また、次回作でお会いしましょう。
二◯二四年五月十五日
Toratora
追伸
SMプレイは何の知識も持たずにやると大変危険です。相手の方の同意の元に、一緒に学び、怪我や事故に気をつけてお楽しみください。