青の家~前編~-1
田中 マリアは普通の高校生だった。
恋をして、大好き彼氏が出来て、最近慣れてきた学校生活が楽しくて、部活ではやっとボールを触らして貰えるようになって、後片付けは一年の仕事だから遅くまで体育館に残って、暗くなったから友達と明るい道を通って帰って、別れてからは人通りの狭い道に入り、彼氏とメールで明日の約束を取り付け、もうすぐ家に着くというところで、マリアはふと立ち止まった。マリアの隣で黒い外車がゆっくりと停車したからだ。
運転席の窓が音もなく開いた。
「田中マリアさん、ですね」
運転席に乗っていたのはサングラスを掛けた女性。落ち着いた声色で、その女は続けた。
「さぁ、急いで。早く乗りなさい」
マリアは見ず知らずの人間が自分の名前を知っていることに恐怖に近いものを感じた。サングラスを掛けているため表情が全く読めず、この暗やみが更にマリアを追い詰める。
「い…いや…です…」
小さく震える声で、マリアは絞り出すように言った。ドクンドクンと心臓が波打ち、鞄を握る掌には自然と汗が滲む。
そんなマリアの態度を見て、女は短く溜め息を吐くと、すっとサングラスを外した。その目を見て、マリアはハッとした。
二つの美しいブルーアイがマリアを見据えていたのだ。
「これで少しは安心できたでしょうか。さぁ、乗ってください」
マリアは何も言わず、壊れた人形のように何度も首を振る。
「…このことは、あなたのお父様とお母様も御存じです。私と共に来てくれることに、許可してくださいました」
「…え…」
小さく呻くようなマリアの声。
「パパと…ママが…?どうして…」
マリアの目に涙が浮かぶ。絶望感からか恐怖からか…。それは溢れてきて止まらない。
「説明は後です。今は急がなければなりません。さぁ、車に乗りなさい」
二人の間に沈黙が続く。暫くしてマリアはとうとう頷いてしまった。うなだれたまま助手席に向かい、深く腰をおろす。
それを確認すると、女は車を走らせた。
「あの…あなたは…」
マリアは、消えてしまいそうなほど、小さな声で問う。ちらっとマリアを見てから、女は
「それも後です。今はゆっくりと休みなさい」
と険しい顔で答えた。
その言葉を聞いた瞬間、不思議なことに、マリアは急に睡魔に襲われた。目を閉じたら確実に眠ってしまう。眠気を気力で押さえながら、マリアは途切れ途切れだが
「どこに…行くん…ですか…?」
と言うことが出来た。
「どこに…?」
女がもう一度繰り返す。
瞼が鉛のように重く感じられ、もう、開けることは出来なかった。マリアの意識も徐々に遠退いていく。だが、朦朧とする意識の中でマリアの耳はハッキリ行き先を捉えていた。
「…青の家です」
青の家?青の家って確か…。そこまで考えて、マリアの意識は深い微睡みの中へ墜ちていった。