きいろ-1
彩葉(いろは)は細く、とても小柄な女性で、初めて彼女に会った時、私は彼女のキャリアと年齢を信じられないほどであった。
その夜、私の行きつけの店は、たまたま常連の顔見知りが重なり、ひどく盛り上がっていた。その中の一人の知人は、数名の男女を連れて来ていて、初対面の私は一人一人に紹介を受けたが、その中に彼女はいた。
彼女は150cmに届くかどうかと言う小柄さで、細面に切れ長なひとえの瞳と、艶やかな細く長い真っ直ぐな黒髪が、日本人形を偲ばせた。
彼女は知人の紹介を受け
「きいいろはです」
と名乗ったが、私がその名前に戸惑って
「え!? きいい? ろは?」等と言ったものだから
「ごめんなさい。判りづらくて……」
と言って、おどおどと慌てて、黒いビジネスバッグから、名刺を取り出して渡してくれた。名刺には「紀伊彩葉 〇〇〇テレビ 報道センター ニュース制作部 プログラムディレクター」と書かれていた。
「え!? なんか凄いね? 今何歳なの?」と私が聞くと、恥ずかしそうに首と手を同時に振りながら、震えるように答えた。
「いえ、いえ、何も凄くないです。下っ端ですから…… 歳は行ってます。聞きますか? 32歳です」と言った。
私が驚いたのは、年齢こそ20代前半だと思っていた事もあったのだが、その多くは彼女の挙動から来るものだった。
彼女はいつもいわゆる「キョどって」いたのだ。周りの動き、音、光すべてに反応して、その度に身をすくめ、それ以外の時も、微かに揺れるように震えていた。
「え!? ぜんぜん見えないね!? 20代前半だと思ってた」
「いえいえいえ…… きっと小さいからです……」
そう話す間も、つねに私の知人の陰に身を隠すようにして、自分の身体を恥じるように、恐ろしい未知に怯えるように、私を見ていた。
私は内心「こんな子が一人前の人間として一般社会の中で、キャリアを積めるものなのだろうか?」などと思い、彼女の美しさには惹かれたが、そっとして置くべきだと考え、何気なくその場を離れ、他の友人の群れに混じった。
その夜、その店の盛り上がりは凄かった。立ち込める煙草の煙の中、店に流れるU2は、人々の話声と笑い声の騒音にかき消されていた。私は知人に揉まれ、あちらこちらに場所を移しては、酒を飲んでいたが、時折彼女を思い出し、目で追った。
彼女は、常に誰かの後に身を起きながら、キョドっていたが、それでも見る度にグラスを口に運んでいて、自らお代わりを頼んでいる姿も何度か見かけた。酒はかなり好きなようだった。きっと酔いだけが、彼女を恐怖から解放してくれるのであろう。
私は知人との世間話に疲れて、一人カウンターに肘を付き、いつものように、酔いにとどめを刺す為に飲み始める、ジャックダニエルのオンザロックを舐めていたが、ふと気づくと、彼女が隣に立って居た。
彼女のグラスを見ると、底に少し残っているだけだったので、
「何か飲む? 頼むよ?」と言うと。
「え!?」と言って、身を強張らせて、俯いてしまった。
私は少し慌てて、
「いや…… 無理にじゃないからね…… 良かったらだから…… そんなに怯えないでよ。襲い掛かったりしないから」
そう言ったものの、その時の自分の『襲い掛かる』と言う言葉に、初めて彼女に対する性を感じた。
彼女は視線を、下から右に左に巡らせて、誰かに助けを求めるように泳がせていたが、急に私の視線を真っ直ぐに受け止めると、
「はい。じゃあ、貴方と同じ物を頂きます」と言った。
「え!? これジャックロックだけど、大丈夫?」と私が言うと、彼女は初めて笑顔のようなものを浮かべて言った。
「はい、貴方の匂いで…… 私も好きなんです」
私はそれを2杯頼み、2人でグラスを合わせた。彼女は大きくひと口、口に含み、ゆっくりと喉に流し込んで、顔をしかめながらも、はにかんだような、それでいて少し大人びた笑顔を見せた。
私達はカウンターに並んで立ち、少しずつ身の上を話し出したが、彼女の頭の先は、長身の私の肩にも届いておらず、後ろから2人を見た者は、子供を甘いお菓子で誘っている、誘拐犯の姿に見えていた筈だ。