別れ NTR-1
毎年夏の終わりの気配は、何故かもの悲しさを感じさせる物ですが、夏休みも残すところ数日となったのに、その年の夏は一向に終わりの気配を見せず、激しい暑さが街から活気を奪い去ってしまっていました。街中に熱せられた霧の様な気怠さが垂れこめ、息苦しさを感じずには居られない午後でした。
玄関での息が止まりそうになる程の抱擁の後、リビングに通された私は、ソファーに座って、その日ボウルに盛られていたメロンを口に頬張りました。
おじさまはキッチンから私のレモン水と自分用に厚いグラスに入った琥珀の液体を持って戻って来ました。
「ウイスキー。やっぱりブルースにはウイスキーかな?と思って」
おじさまは、私にグラスを掲げながら言いました。おじさまのグラスには複雑なカットが施されて、窓から差し込む日差しにキラキラと輝いていました。
そう言えば今日は部屋に入った時から既に音楽が鳴らされていました。おじさまはオーディオのリモコンを手に取って、ボリュームを少し下げて言いました。
「『ブルース・カズンズ』ロシアのバンドで、モスクワで最高のブルースバンドって言われてる。ロシアのブルースって何か珍しい感じがするでしょ? だけど彼らの凄く正統派な感じとギターの音色が好きなんだよね。」
私は「『幸せなセックス』に、ブルースって合うのかしら?」と思いましたが、確かに素敵なギターの音色だったので、目を閉じてその音に耳を澄ませました。
おじさまは私の隣に腰を下ろすと、グラスのウイスキーを一気に大きく煽り、顔をしかめながら静かな声で話しだしました。
「琴。実は今日、僕は君に話さなければならない事がある。少し長い話になるが、遮らないで最後まで聞いて欲しい。出来るね?」
私はおじさまの只ならぬ気配を感じて、本能的にその話を聞きたくないと思いましたが、そんな訳には行かない事も知っていたので、渋々答えました。
「はい」
「うん。あっ その前にこれを渡して置こう。又、忘れてしまいそうだからね」
おじさまはそう言って、五枚の一万円札を私に差し出しました。私は気も漫ろに、その日持って居たサコッシュにそれを仕舞い込み、おじさまの話の続きを待ちました。
おじさまは又ウイスキーを一口飲み込んでから話し始めました。
「そうだな、実は僕は琴とこの関係になると決めた時に、ある誓いを立てたんだ。それは『絶対に常に琴の事を一番に考えて行動する』と言う事。その為に自分に課した事は『溺れない』『流されない』だから期限を決めたんだ。この夏が終わるまでと。
初めて琴がこの部屋に来た翌日、僕はコンビニに辞めたいと伝えた。本当は直ぐにでも抜けたかったんだけど、一ヶ月の猶予をお願いされてね、昨日で最後の勤務を終えた。
この部屋も引き払う段取りは進んでいる。僕は琴の居ない場所で生きて行くつもりだ。琴に会うのは今日で最後になる」
おじさまの話が進むにつれ、私の鼓動は激しく高鳴り、鼻の奥が熱を帯びて。堪えようとすればするほど、涙が溢れて来て止まりませんでした。
「でも、僕にも琴にも、今後お互いが存在しない生活が待っている。その為の準備が必要だ。琴は今後様々な男に出会い、抱かれるだろう。その姿を僕は目に焼き付けてこの気持ちに区切りを付けたい。最後の躾だ」
私はどんどんおじさまの言っている事が理解出来なく成って行きました。そして衝撃の言葉を聞いたのです。
「今日君は、僕の目の前で別の男に抱かれる。世に言う『NTR 寝取られ』と言う奴だ。愛する人を、他人に抱かせて興奮を得る、又は愛する人の前で、別の男に抱かれて興奮を得ると言うセックスのスタイルだ。倦怠期の二人が刺激を求めて行う事が多い。
元来僕は嫉妬深く、残念な事にメンヘラ気質だ、だからその趣味は全く無い。だからこの事は、ただ僕を痛めつけ、僕は体の中が捻じれる程の苦痛を味わう事になるだろう。
琴も又、新しい刺激を求める程成熟していないので、唯の苦痛になる可能性は高い。しかし、あと僕に琴を躾けられる形が残っているとすればこれしかないと思った。
僕たちの最後に相応しい形だとも思った。琴。僕の為になら何でもしてくれるって言ったね? 他の男に抱かれてくれるね?」
私は虚ろな頭で、その時起こっているを理解しよとしました。「おじさまはもう私と会わないと言った」「目の前で他の男に抱かれろと言った」「それが最後の躾だと言った」「おじさまの為に抱かれろと言った」
私が流している涙は、始めは別れに対する悲しみが理由だったけれど、その時はいったい何が涙を流させているのか判らなくなっていました。苦しみ、悔しさ、恐れ、驚き。諦め、怒り、それらが絡まり合って私の心を締め付けていたように思います。
そしてやっと拒絶の言葉を口にする事が出来ました。
「嫌です。無理です。おじさま、許してください」
「琴。これは僕の為なんだ。僕が君への思いを断ち切る為に必要な事なんだ。それに、今後の君にとっても必要なことなんだ」