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甘い調教  「躾けられた三つの穴」
【調教 官能小説】

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処女を散らす-1


 私の名前は松坂琴。その時私は十七歳で、渋谷の共学高校に通う二年生でした。
そしてあの夏、その男は私の躰を、とても淫らで卑猥な物に作り上げてしまったのです。
彼はそれを躾と呼んでいました。

             第一章  処女を散らす

 その頃の私は、母と二人で暮らしていました。父は私が中学に上がる頃、他所に女を作って出て行ったそうです。母は詳しい話はしてくれませんでしたが、父が出て行った頃の二人の会話から、話の経緯は私にもおおよその見当がつきました。
 私はその出来事で、心にぽっかりと穴を開け、虚ろな、ふわふわとした精神状態のまま、ただ淡々とした中学生活を過ごしました。適当に学校に行って、適当に友達としゃべり、うわの空で過ごす毎日の生活の中で、一つだけ自分の中に逃げ込める場所が読書でした。      
 私は父が残して行った書籍の中で、純文学系の小説に心奪われました。三島由紀夫や川端康成などの美しい文章の裏に見え隠れするエロティシズムに興奮を覚えていたのです。
 今でも父の事は。私の中で全く理解不能な出来事で、あんなに私を愛してくれ、あんなに母を愛していた父が、その二人分の愛を裏切って、一人の女の所へ行ってしまったのですから。
 父が出て行くまでは、私も父が大好きでした。アパレル関係の小さな企画会社を経営していた父は、背が高く、いつも素敵な服を着て、端正な顔立ちをしていました。そして、私の事を宝物のように愛してくれていたのです。
 
 母は、母の祖父母が南米の女性であったため、少しエキゾチックな顔立ちと姿態の美しい人だった。と言うか、今でも美しいのですが。私も二人の血をひいて、子供のころから美しいと言われ続けていました。いや、寧ろ私には母より母の祖父母の血が強く出て、ほっそりとした顔立ちの割に、大きな胸と、張りのある大きなお尻を持っていて、肌の色も微かに褐色を帯びていたのです。その肌を父はよく「蜂蜜のような肌だな」と言っていました。私自身は、生々しく、厭らしい匂いを放つその身体の特徴を、気に入ってはいませんでしたが、とにかく周りの人間からは賛美されていました。

 高校に進学した私は、家計を助けたくて近所のコンビニでアルバイトを始めました。私達は父が残してくれたマンションで暮らしていて、父はマンションのローンの残債を払い続けていました。母は、支払いが完済して名義変更が済むまで、離婚には同意しないと父に言ったそうです。その為、それ以外の生活費の援助は無く、私たちの生活費は、母がパートに出て得る僅かなお金でやりくりされていました。

 あの人に躾られた時、すでに私は処女ではありませんでした。それも、一般的な恋愛体験の中で失ったのでは無く、ふと目に留まったゴミ箱に、突然ゴミを投げ捨てるように捨ててしまったのでした。
 あの頃の私が、何故一般的な恋愛に踏み出せていなかったのかと言うと、当時の私の頭の中は純文学に犯されていて、精神年齢だけは様々な体験を重ねて来た一人の女に成っていたのです。その為、同じ年頃の男子に対しては、子供っぽさしか見えて来なくて、とても恋愛の対象として一人の男としてみる事が出来ませんでした。

 春休みが終わり、二学年が始まった頃、周りの同級生たちの会話には、性にまつわるものがとても多く含まれていました。「だれそれがだれそれとやったらしい」「だれそれはやりまんで、もう十人としたらしい」「だれそれのち〇ぽは、でかいらしい」そんなあからさまな雑談を聞いていると、私には私の処女膜が、枯れて干からびても花瓶に垂れさがっている醜悪な物にしか思えませんでした。それにそう言った会話の中に入り切れずにいる私は、彼女たちの目には未経験である事がバレバレで、彼女たちの視線の中に含まれる嘲笑を感じずには居られませんでした。
 普段、男子生徒の間で持て囃されている厭らしい体つきの女にたいして、折角マウントをとれる数少ないチャンスを、彼女たちが逃すはずはありません。その頃の私は、まるで、背中に「処女」と言う張り紙をぶら下げて、校内を歩いている気分だったのです。

「早く捨てたい」

 そしてそのチャンスは突然に訪れたのです。


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