暗転-4
「旦那も旦那だ。ボイスレコーダーですべて聞いて知っているんじゃないのか。なぜ離婚を切り出さん」
「私と同じでオナニーに勤しんでいるのでは? くっくく」
「妻が三人の男に前後両方の穴を好き放題ほじくられて楽しい男がいるもんか」
「世の中広いですからねぇ。いろんな趣味がありますよ」
「そもそもあいつは新人のころから女関係にはヘタレで有名だったんだ。妻の不貞をあれだけ突きつけられても『別れたくないよー』なんつって日和ってるんじゃないか?」
ふーと天井に向け煙を吐きだすW。
なぜなのだ。
そもそも彼女が貞操観念の狂った女というのは間違いない。意外ではあったがこちらには好都合。なし崩しでふたたび関係を持つのは容易いだろうと考えていたし、週刊誌ネタで揺さぶり彼女を自分に依存させたうえで性接待に駆り出すのも十分に実現可能と踏んでいた。たっぷり恩を売り信頼を勝ち取りながら弱みを握る。お得意のアメとムチを使い分け、ゆきを愛人兼裏社交界の高級娼婦としてしゃぶりつくすという彼の計画がどうにも進まない。
Wはまだ十分に吸えるタバコを乱暴にもみ消すと、すかさず次の一本を取り出しまた火を付ける。
「あとここまで来るとあのボイスレコーダーが何気に邪魔だ。旦那に聞かれてると思うと俺の方から口説くこともできん」
「破綻夫婦なら気にせず口説いてしまえばいいじゃないですか」
「俺は敵を作らない主義だ。知ってるだろう?」
「そうやってみんな騙されてきたんですねぇ。へへへ」
「それにもし今後裁判沙汰になどなればマイナス材料にしかならん」
「あなたなら別に不倫の民事訴訟だの示談金だの、痛くも痒くもないでしょうに」
「金の問題じゃない。旦那は昔から俺に心酔してるんだよ。そこへさらに週刊誌の件をたっぷり盗聴させてやった。やつは俺への信頼を高めたはずだし、あの淫乱妻の苦境につけ入り手篭めにするような素振りすら見せない誠実さも見せつけてきた。あいつはあれで一応メディア企業の役員だからな。新興の弱小とはいえ、味方につけておいて損はない」
「でも両方にいい顔したままじゃあ埒があかない」
「俺は両方にいい顔をする男だ」
「『ゆきちゃん』が手に入らなくても?」
「ゆきも手に入れる」
ひゅー、とVは驚きとも呆れともつかぬ声を発した。
「とにかく、なんとかやつら夫婦を別れさせたいんだ、俺は」
「うーん……。あれはあれでうまくいってる夫婦なのでは?」
「そんなわけあるか。盗聴器まで仕掛けてるんだぞ。ん? 盗聴器? 盗聴器か……」
WはVになにごとか指示をする。
長い指示だった。ときおりVが質問をする。Wが答える。
すべて伝え終わると、Wがにやりと笑った。
Vもまた、にやりと笑った。
*
「Wさん、ご相談があるのですが」
上司とたまに訪れるバーで、ゆきはおもむろに切り出した。手にはスマホが握られている。
「実は今朝、こんなものがポーチから出てきました」
写真アプリを開きWに見せるゆき。
「詳しくは知らないのですが、これってボイスレコーダーですよね?」
「ん? どれどれ……。こ、これは……!」
Wは慌てた様子でジャケットの内ポケットからボールペンを取り出し、「これ、今どこにある?」となぐり書きし、ゆきにペンを渡した。
「大丈夫です。ポーチは会社に置いてきました」
「そうか。さすがOさんだ。うん、これはボイスレコーダーで間違いないと思う」
「やっぱり……。それで思ったんですが、これ週刊誌の人に入れられたんじゃないかって」
「なるほど。それでOさんの秘密を暴いた。たしかにその可能性はある……」
獲物が網にかかった。実はWが密かにゆきのポーチの裏地をほつれさせ、ボイスレコーダーを自分で発見するよう仕向けたのだ。Wは眉間に皺を寄せ深刻な顔で考え込む、そういうフリをした。
「週刊誌はたしかにOさんを嗅ぎ回っていた。ボイスレコーダーを仕込む動機もあるといえばあるが……しかしどうだろう。これは取材方法としては明らかに違法だ。もし見つかれば雑誌の廃刊はもちろん会社自体が吹き飛ぶ可能性すらある。いくらパパラッチといえどそこまではしないんじゃないだろうか」
「たしかに……」
「しかもこれ、電源が入っているね。バッテリーの持ちがいい機種だとしても数日起きに充電して取り替える必要がある。そんなことが可能だろうか?」
「このポーチは肌身はなさず持ち歩いているので、まず無理だと思います」
「ふーむ……となると」
ここで一呼吸おくW。たっぷりと時間を掛け、苦しげな自分の表情をゆきに見せる。
「非常に言いにくいんだが……。一番可能性が高いのは、旦那さんのOくんじゃないだろうか」
「……! 夫……ですか」
「家族なら君が寝ている間に充電したり入れ替えたりもできるだろう。逆にOくん以外でそれができる人がいるだろうか」
「……………………」
「旦那さんに関してなにか思い当たることはないか?」
はっとするゆき。夫の寝取られ性癖。ありえないことではない。
「なにか思い当たるんだね。たしかに君は不倫をしていた。旦那さんが君の行動のどこかに疑いを抱いたなら、こういうことをしても不思議ではない」