暗転-3
「君がショックを受けないよう先日時点では隠していたんだが、こういう写真なんだ」
効果はゆきの表情の変化を見れば明らかであった。
写真を見たゆきが、青ざめた顔で固まっている。あられもない自らの痴態がこれでもかと収められていたからだ。Vが撮影した写真には、ありとあらゆる場所でセックスし、男性器をくわえ込むゆきが写っていた。車の中、地下駐車場、カラオケボックス。膣やアナルに性玩具を自ら挿し込みオナニーしながらフェラチオする姿。ペニスがゆきの肛門に挿入されている様子がはっきり視認できる写真まである。
「これが世に出てしまう。この何十倍の写真、そして動画まであるらしい。それもすべて公開されることになるだろう」
あまりの自らの痴態の酷さに震えるゆき。
「日本中が大騒ぎになる。週刊誌は売上のため写真も動画も何ヶ月にも渡り小出しにしていくと思う。君は外を歩けなくなってしまう」
これを目にした皆の顔がありありと想像できる。今日まで笑顔で和気あいあいと仕事をしてきた会社の同期、先輩、後輩たちは軽蔑と好奇の目を向けてくるに違いない。麗美、華子、真由は何と言うだろう。いや、もう口も聞いてくれないだろう。学生時代の友人、楓さん、バイト先の店長夫妻には蔑まれ、両親には泣かれ、子どもたちは母を気持ち悪いものを見る目で怯え学校ではいじめられる。もちろん夫にもアナルセックスがバレてしまう。
大げさでもなんでもなく、自分の人生がただちに終了する様子が、くっきりとした輪郭をもって存在を主張している。
「Oさん、我が社にいれば絶対に安心だ。これは私が保証する。私は知っての通りメディアに顔が利くし、広告出稿もコントロールできる立場にある。この写真を知るのは私だけ。君に惨めな思いをさせたくないし、そんな姿も見たくない。全力でOさんを守る」
生気を失ったゆきが消え入りそうな声で、「辞職は撤回させていただきます。勝手なことを言ってしまい、申し訳ありませんでした」と頭を下げるのを見下ろしながら、Wはにやりと笑った。
*
「さーて、そろそろ仕上げだぞ」
「ごきげんですね。どうしたんです?」
「ゆきはじき落ちる。V、忙しくなるぞ」
週刊誌事件から二週間、Wはゆきの自分への信頼と感謝の気持ちが日に日に高まっていくのを感じていた。
二人はそれ以前から美魔女グランプリやそれに付随する取材や撮影で行動をともにすることが増えていたが、かつての不倫がひっかかっているのか、ゆきの態度は表面上良好で礼儀正しくはあるもののどこかよそよそしく一線を引いたものとなっていた。それが「週刊誌の魔の手」から彼女を守って以降、警戒心が明らかに解けた。
少し前は軽いランチでさえ何かと理由をつけて避けられていたのが、秘書という職務性質も相まり食事を一緒に摂ることが増えたし、ときには夕食にもつきあう。客との重要な打ち合わせや宴席で遅くなった日には「お疲れ様会」と称してバーでのちょっとした飲みにもついてくるようになった。
「本当はそこでゆきからモーションをかけてくることを期待してたんだがな」
Wとしてはバーカウンターで夫への愚痴などを聞いてやり、やがていい雰囲気になれば彼女から接近してくるであろうことを期待した。それを何度か断る。あくまで紳士を貫き、気を惹こうとさり気なく距離を詰めてくる人妻を宥め、あしらう。妻が上司に男女の駆け引きを仕掛けている様子をOに聞かせてやるのだ。ゆきがかつての不倫など余計なことを口走らぬよう気をつけながら、「Oくんに不満があるならきちんとけじめをつけなさい」などと誠実ぶって諭してやる。
この罠は、残念ながら空振りに終わった。
「まあさすがにやつも不倫で問題を起こした手前、軽々な行動はとれないか。ははは」
いずれにせよ彼ら夫婦の離婚は確定。なにしろ彼女は夫には言えない秘密を多数抱え、夫はそんな妻を疑い盗聴器を仕掛けている。すでに事実上破綻していたO夫妻に対し週刊誌事件をぶち込んだ。夫婦の終焉は近い。
Wはそう考えていた。しかし――。
*
「どういうことなんだ、これは?」
「今日は荒れてますね。どうしたんです?」
「どうもこうもないよ。ゆきのやつ、なかなか落ちん」
さらに三週間が経過した。週刊誌事件からは一ヶ月。Vとの秘密会議で利用しているいつものバーで、Wは珍しく苛ついていた。
テーブルの上に置いてあるVのタバコを断りもなく一本取り出し、火をつける。はるか昔に禁煙済みのWだが、機嫌の悪いときはこうして気持ちを落ち着ける癖がある。
酒の席で夫婦関係などに水を向けても彼女の口から出てくるのは反省ばかり。軽率な行為をした、夫にも申し訳ないし会社にもWにも迷惑をかけたと繰り返す。
「しかし私はいろいろな夫婦を見てきたが、不倫で一方だけに原因があるケースは稀だ。私になら旦那さんへの愚痴のひとつやふたつこぼしてもいいんだよ。もちろん私はOくんの味方でもあるが、部下の悩みの捌け口になるのも仕事のうちだ。なに、彼に告げ口なんてしないから安心してよ」
「ふふふ。ありがとうございます。でも今回の件は本当に私だけの問題なので」
夫への不満などまったく出てこない。Wへの感謝と信頼の言葉こそ口にするものの、男女の色っぽい会話になる気配はゼロであった。