暗転-2
「Oさん、もうひとついいかな? その、なんだ。言いにくい話だとは思うんだが……Fさん以外とも、そういう関係の男はいるのか?」
Vの調査報告で把握済みの不貞事実もこの際語らせたい。すでに破綻している夫婦を徹底的に揺さぶり、妻の側が最大限のダメージを受ける形で一刻も早く別れさせる。
「週刊誌というのは必ずネタを小出しにしてくるんだ。これに対抗するには、こちらがすべてを知っておく必要がある。後手を踏むと私でも週刊誌を制御しきれない可能性が出てくる……」
「…………」
「だからもしあれば正直に答えてくれ。そのことで君を責めることはないし、もちろん旦那さんにも秘密にしておく」
もっともらしい脅しと「安心感」のアメとムチでゆきを追い込むW。彼にとって造作もない作業である。
「実は他に……二人の方とそういう関係を持っています」
*
Z、Yとの関係まで打ち明けさせられたゆきは、憔悴しきっていた。
「ありがとう。言いにくいことだったと思うがOさんが勇気を出して教えてくれたおかげでなんとかなると思う」
「…………」
「Yくんとの社内不倫には少々驚いたがね。ははは」
「軽率でした。申し訳ありません……」
Vの調査の裏とりもできてWは上機嫌である。
「大丈夫。君にもYくんにも悪いようにはしない。すべて秘密裏に済ませるし、最初に言った通り外部に決して漏れないようにする。まずは安心してくれ」
「申し訳……ありません。ありがとうございます……」
「いやいいんだよ。私はOさんの味方だ。こんなくだらぬ不倫騒ぎで君の将来を潰したくはない。なに、男だってみんなやってるんだ。女性だからといってダメじゃあ理屈は通らない」
「なんとお礼をいっていいか……」
「今聞いたお相手の男性方には週刊誌のことは決して言わないように。そして全員ときれいに別れてくれ。できるね?」
「はい。間違いなく……」
肩を落とし自席に戻るゆきの後ろ姿を見送りながら、Wは満足げな表情を浮かべていた。ゆきの思わぬ大失策は自分に想定以上の果実をもたらすだろう。
今の会話を聞かされた夫のOは離婚の意思を固め、妻を徹底的に糾弾するに違いない。ひょっとしたら私に相談のひとつやふたつしてくるかもしれない。妻の醜聞をもみ消してくれたかつての上司にして頼りになる味方である私に。彼はオスとしては不能だがああみえてネットメディアの役員に収まっており使い道はある。吹けば飛ぶようなチンケなメディアでも手駒に加えておいて損はない。
いっぽうゆきは夫に全面降伏し多額の慰謝料と親権を要求され放り出される。孤独の身となった傷心のゆきが頼れるのはやはり私だけ。経済的にも心理的にも自分に依存させ俺の女にしてやる。俺の女になれば、あとは意のままに動かすのみ。あいつは見てくれだけは清楚で身持ちが硬そうだが、その実押しに弱く流されやすい。そして淫乱。昔の不倫のときもそうだったが今回の件で確信した。ゆきの本質は何も変わっていない。
今をときめく「理想の夫婦」を破壊した張本人が、それぞれから不当に得た「信頼」を自身の欲望のため利用する。そういう立ち回りをなんの躊躇もなく嬉々としてやってのけるのがWという男であった。
*
「Wさん、少しお時間よろしいでしょうか?」
数日内に、ゆきが辞職を願い出てくることも想定済みだった。
大した問題ではない。
「会社にもWさんにも迷惑をかけてしまいました。Wさんには助けていただき本当に感謝しています。でもこれ以上は私個人の問題だと思うんです。辞めさせてください」
「Oさん、それは今一番しちゃいけないことだ」
「どうしてでしょうか? 自分の愚かな行動で社の評判やイメージに取り返しのつかない傷をつけてしまうところでした。Wさんがいなければ大変なことに……」
「だからこそだよ。週刊誌があのネタを封印してくれているのは大口の広告主である我が社がストップをかけているからだ。もしOさんが退社して社や私の後ろだてがなくなったと知ったら、週刊誌は遠慮なく君の記事を公開するだろう」
「自分のまいた種です。仕方ありません」
「家族はどうなる」
「夫には誠心誠意謝ります。許してもらえないと思いますが。それも仕方ありません」
「子どもたちも可哀想だろう」
「ときが来たら私からきちんと話します」
「君は今や有名人だ。日本中からバッシングを浴びることになる」
「それも覚悟の上です」
夫はすべて了解済みなのだからこのときのゆきは実はまだ余裕があった。しかしそんなゆきの余裕はすぐ打ち砕かれる。
「Oさん、実は言いにくいんだが……君はあの記事がどのような記事になるか知らない。それは私があえて見せないようにしていたからなんだが、つまりその……記者からは他にも写真を何枚か渡されている」
「……?」
ふん。破綻夫婦のくせに一丁前に夫への誠意を見せるなど小賢しい真似ができるようになったか。取っておいた次なるネタをこんなに早く繰り出すことになるとは意外だったが、その殊勝な態度もこれを見れば長持ちはすまい。
Wは引き出しの封筒から数枚の写真を取り出し、デスクに広げた。