第七章 雨やどり-1
突然の雨だった。
デパートのショーウインドウの庇の下で、礼子は恨めしそうに大粒の雨を眺めている。
久しぶりの青空に、用足しのついでに会社を出て散歩を楽しんでいたのに。
瀬川に対する憂鬱な気持ちを少しでも消したかった。
ジメジメと続くこの長雨のような二人の関係を、カラリと晴れた青空の下で忘れてしまいたかった。
気を取り直してショーウインドウを眺めていると、最新のファッションに身を包んだマネキン人形がディスプレーされていた。
自分が着飾るのは苦手であったが、やはり女であるので眺めるのは嫌いではなかった。
しばらく夢中になって見つめていると、見覚えのある顔がガラスに写っていた。
礼子は振り返ると、驚いた様に言った。
「島田・・・さん」
意外な男がたっていた。
礼子は島田の事は優秀なプログラマーという事ぐらいしか知なかったが、妙に気になる存在ではあった。
いつもモニターに向かって仕事をしていてたまに顔をあわせても、おとなしい性格なのかすぐ目を伏せてしまう。
だが一瞬ではあるが、その瞳の光は女の心に焼き付いて離れなかった。
自分と同じ目をしている、と思った。
別にこれといった理由は無いのだが、何かを待っているような怯えた目であった。
男は照れ臭そうに微笑むと、口を開いた。
「どうしたんですか。こんな所で・・・」
島田のやさしい表情が不思議にさわやかで、礼子は胸が高鳴るのに戸惑いながら、顔を赤らめて言った。
「お使いに出ていたら、降られちゃって。
べ、別にさぼってた訳じゃないですよ」
女の慌てように笑いながら、男はオズオズと傘を差し出して言った。
「もし、良かったら・・・」
「わぁ、ありがとうございます」
女は少しはにかんで礼を言うと、窮屈そうに男の傘に入った。
「僕の傘じゃ、ちょっと小さいかな?」
「私、大きいから・・・」
「そんな、僕が背が低いんですよ」
「ううん・・・本当。
私、大きくて・・・色気、無いし・・・」
女が伏し目がちに言うと、島田は自分でも驚く程、大きな声をあげた。
「絶対そんな事ないです。
あ、貴方はモ、モデルみたいで・・・
す、素敵です」
傘を握り締める島田の顔が真っ赤になっている。
予期せぬ男の言葉に、今度は女の方が首筋まで赤くなって叫んだ。
「えー、そんな事言われたの初めてっ」
「ほ、本当です。
す、すごいび、美人だと思います。
あの、その・・・」
男はもう自分で何を言ってるか分からなくなっていた。
女は男の慌て振りに驚きながらも、身体の芯が熱く火照ってくるのを感じていた。
男の真剣な眼差しが心に突き刺さってくるようだ。
男は唾を飲み込み、決心するように立ち止まると、少し見上げる様にして言った。
「ぼ、僕は好きです。
あ、貴方が・・。
ずっと前から好きでした」
女は目を大きく開いたまま立ちすくんでしまった。
雨音が二人を包んでいく。
廻りの色彩が消え、礼子だけが男の瞳に美しく写っていた。
男は我に帰ると、思いつめた表情で女に傘を差し出して言った。
「す、すいません。
変な事言って。
ほ、本当・・・ごめんなさい」
そして女を残して走っていった。
大粒の雨が降る中、男はモノトーンの風景に溶けていった。
礼子は男の傘を握り締めたまま動けずにいた。
こんな風に男から告白されたのは、生まれて初めてであった。
瀬川の時は慣れない酒に酔っている内に、いつのまにか抱かれていた気がする。
島田の自分に対しての思いは今の風景の様に雨に閉ざされたまま、礼子の目には見えていなかった。
それが突然傘の下で色彩を放ち、鮮やかに礼子の心に写し出されたのだ。
自分と同じ種類の人間という気はしていて親近感を持っていたのだが、島田のさっきの激しい表情を思い出すとまるで別人の様に思えてくる。
(どうしよう・・・私・・・)
叩き付ける雨が傘の間から入り込み、礼子のブラウスを濡らす。
だが女にはその冷たささえ感じられず、ただ呆然とたたずんでいるのであった。
ほんの短い、雨やどりの間の出来事であった。