アラウンド・ザ・ワールド-5
「カミングアウトと云う言葉を知っていますか?」
「え、ええ。つまり、その、告白する訳ですよね?」
「ちょっと違うんです。あれはね、coming out of the closet―――クローゼットから出て来る、という言葉なんですよ。結城君はクローゼットに居たんです。そして、誰が居る世界なら出ても大丈夫か、今でも探って生きている。まあ、少し広まってしまいましたが」
「クローゼットですか」
「押入です。昔私は、彼をそこから引き摺り出してしまいました」
小宮は、言葉が出ない。
「云いたくない事を云わせてしまった。私はその時、彼の手を掴んで押入から出した。だから―――」
谷町は、少しだけ笑った。
「今でもその手を離していないという訳です。人の助けになるとは、そういう事です」
一度掴んだ手を、何があっても離さないという事ですよ―――そう云うと、谷町は小宮を見つめた。
「カミングアウトは、公表してから新たな人間関係を築くまでを指す言葉です。もし貴方が結城君に書かせるなら、彼がもう大丈夫だと云うまで手を離さない覚悟が必要になる」
差別は根強いものですよ、と谷町は云った。
小宮は、結城がゲイだからと差別する気持ちはなかった。けれど、世の中には差別する人間も多いのだと云う事も忘れていた。
軽率だ。
「エッセイの件は、よく彼と話し合って下さい。書く事が必要になる時も来るかも知れません」
そして、谷町は頭を下げた。
「申し訳ありません、この後仕事がありまして―――一方的にこちらだけ話してしまって」
「あ、いえ、いいえ。ありがとうございました」
挨拶をして谷町の顔を見ると、彼はやはり穏やかに笑っていた。
「ご馳走さまでした」
小宮が頼んでおいた谷町の分の紅茶は、いつの間にか空だ。ソツがない。
紅茶代です、と渡された千円をぼうっとしたまま受け取り、慌てて立ち上がって谷町を見送った。
「吉田君によろしく」
そう云って去って行く谷町の後姿が見えなくなるまで、小宮はただ立っていた。
小宮は、掌を見つめた。頼りない手だ。
もし結城の手をとって、離さない自信が出来たらその時は提案しても良いかも知れない。
それまでは、題材は食べ物や花でも良い。
そうだ、映画なんてどうだろう。そんな事を考えて、荷物を持った。
また谷町に会いたいな―――そう思って、結城に会う為に歩き出す。
会ったらまず謝って、谷町の話をしよう。
小宮はそう決めて、歩を早めた。