隣の光り-6
夏休みが終る直前の金曜日。
奈津は朝早くから、学校へと向かった。
その日は、部活が午前からあるため、通学に片道四十分かかる奈津は早目に家を出て、駅までの道を歩いていた。
川原の土手にさしかかったとき、後ろから自分を呼ぶ声が聞こえた気がして、奈津は振り返った。
グレーのスーツを着、手を振っているのは涼の母親、節子であった。
チリチリと鈴の篭ったような音がする大きな鞄を脇に抱え、やっとの思いで走ってきた節子は、奈津に追いつくと、ぜい、ぜいと肩で息をした。
「なっちゃんは歩くのが早いねぇ。体力には自信があったけど、なかなか追いつかなくて」
そう言ってハンカチで汗を拭う節子の表情は満面の笑顔で、奈津はふんわりと優しい気持ちになるのだった。
節子は、早くに夫を心臓病で亡くして以来、女手ひとつで涼を育ててきた。
気立てがよく、おしゃべりが好きな節子は、生命保険会社の外交員という仕事をしている。賑やかに話をしつつ、細やかな心配りを忘れないその性格は、誰からも慕われた。
駅までの道のりを、世間話をしながら歩いていく。
奈津にとって、それは楽しいひとときだった。歳が倍以上に離れている節子は底抜けに明るく、しばしば圧倒される。
節子と話をしているとき、奈津はよく考える。節子の明るさに敵う人はいない。節子はどんな情況のときでも常に前向きだ。たくましく生きているからこそ、できる笑顔なのかもしれない。
「今晩、ご両親はいないんでしょう?」
駅に近づいた頃に切り出された節子の問いに、奈津は返事に困った。
うなずけば、食事に招いてくれるに違いない。今、涼に会うのはためらわれた。
「……はい。なので、今晩は友達の家に行く予定なんです」
「……そう……。残念ねぇ。久しぶりになっちゃんと楽しく食事ができると思ったんだけど……」
がっかりした様子の節子は、何か言いたげな様子で考え込んでいる。
そして未練があるように、もしよかったら来てね、と言ったあと、
「なっちゃんはいいわねぇ。話をしていて楽しいわぁ。最近、涼ちゃんが暗いでしょう?一緒にいると、私までカビがはえそうで……」
と言いながら眉をよせる。
奈津の心がチクリと痛んだ。
「きっと、あれは失恋したのよ」
節子は急に声をひそめた。奈津の相槌を待たずに
「いいのよ、それで。男の子はそうやって成長していくんだから」
と独り言のようにつぶやくと、節子は会社がある方へ行くホームへと降りて行った。
後を振り向く節子に手を振り、奈津も隣のホームへ降りる。
空は青く、風が爽やかだ。
同じ方向を向いて立つサラリーマンやOLたちは皆、疲れた顔をしていた。
「あのストラップ、どうしてる?」
部活の帰り、レストランで昼食をともにした奈津と拓斗は、電車に揺られていた。
「あ、もちろん使っていますよ。ほら!」
奈津は鞄から携帯電話を取り出し、拓斗に見せる。
「私の宝物です。大事にします」
顔を赤らめ、ちらりと拓斗を見上げた。
拓斗は穏やかな笑顔で奈津を見下ろしている。
奈津が見る拓斗は、いつもそういう笑顔をしていた。きっと、本気で怒ることはないのだろう。その笑顔を見ているだけで、奈津はとろけそうになる。ツルツルの肌に長いまつげを持つ拓斗は、かっこいいと評判でどの学年でも有名だった。
その拓斗を目の前にして、話をしようにも話題が思いつかない。レストランでもこんな調子で、奈津は緊張のあまり食事が喉を通らなかった。