隣の光り-2
「見て、これ」
そういいながら取り出した携帯電話には、先にイルカのマスコットをあしらった、真新しいストラップがついている。
そのストラップを見るなり、涼はまたくるりと椅子を回転させて、奈津に背中をむけた。
「……それがなに?」
口早にぼそっと言う涼にかまわず、奈津はうれしそうだ。
「拓斗先輩にもらったの。誕生日だって言ったら、部活の帰りにお店に寄って、買ってくれたんだよ」
奈津はきゃーっと足をバタバタしてはしゃぐ。
拓斗先輩とは、奈津が所属する陸上部のひとつ上の先輩で、奈津にとって憧れの人だ。
今年の春、涼とは違う高校に進学した奈津は、この部屋に来ては何度も『拓斗先輩』の話をしてきた。そのたびに涼は苛立った。はじめは、その苛立ちは、単純に興味がない男の話を何度もされたからだと涼は思っていた。
しかし、おととい、街で見知らぬ男と肩を並べて歩く奈津を見かけて、涼は動けなくなった。心臓が口から出るのではと思うくらいに高まり、足がふるえてうまく歩けない。そんな自分に驚く。奈津が気になって仕方がない。
こっそり、見つからないように後を追いかけた。ふたりは、女の子向けのカラフルな小物を売っている店に入り、ストラップを見ていた。
(こいつが、あの拓斗とかいうヤツか?)
男は、穏やかな笑みを浮かべ、手にしたストラップを奈津に渡す。ストラップを受け取り、その男を見上げる奈津は、顔じゅうから笑顔がこぼれていた。
(これが本当に奈津なのか……?)
涼が思わず疑うほど、そのときの奈津は女らしくて愛らしかった。
愕然としたまま、涼はそっと店を出た。
その奈津が後ろでその時のストラップを見せたのだ。
(そんなにあいつが好きかよ)
鼓動が激しくなる。後ろではしゃぐ奈津の声が残酷に響き、涼の理性を奪っていく。
涼が立ち上がり、振り返って奈津に近づいていった。
「涼……?」
涼の異変に気づいた奈津は、ベッドの上を後ずさりする。
(逃がすかよ)
涼は奈津の右腕をつかんだ。そして−…
ゴツッと小さな音がした。歯と歯がぶつかった音だった。乱暴にくちびるを奪った涼は鉄の味がして、おそるおそる顔を離した。奈津のくちびるからは血がにじんでいる。
その血を見て涼は我にかえった。
奈津は何がおきたのかわからない、といった様子で見上げている。
「ごめ…」
思わず涼は謝った。奈津の顔の両脇に置かれた手は、がたがたと震えた。
「なににごめん?キスをしたこと?それとも―…」
奈津の目から涙が溢れてきた。
「それとも、衝動的にキスをしたこと?」
言っていることがどちらも同じであることに、奈津は気がついていない。それほどに動揺しているのだろう。
はじめて見る奈津の涙に涼は焦る。
「衝動的だけど、軽い気持ちじゃない」
あわてて言ったため、声が少し裏返った。
奈津は、涼を押しのけて部屋を出て行った。
バタバタと階段を降りる足音の後、玄関のドアが開けられる音がすると、家中が、急に静かになった。
(なんてことをしたんだ、俺は)
涼はベッドに倒れこんだ。
後悔の念が押し寄せてくる。奈津に嫌われただろうか。
横になった目線の先にゴミ箱がある。紙くずにまじって、奈津が部屋に来る前に捨てた、トンボ玉のストラップの白い紐が、わずかに顔を出していた。
涼は心が押しつぶされそうになり、両手で顔を覆った。
奈津の泣き顔が脳裏に焼きついている。
追いかけなくては、という気持ちがこみ上げるけれど、その奈津の泣き顔に、心と体は重くて動けず、いつまでもベッドで顔を覆っていた。