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消しゴム。
【サイコ その他小説】

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消しゴム。-1

 モノクロームの夢を見た。そう、あの明治や昭和の写真の色。世界は静かで厳粛で、あたしはゆっくり両目を閉じたら蒸し暑い布団の中で目が醒めた。

「ねぇママ。帰りに、消しゴム買ってきてちょうだい。勉強に使うの」

 最後にあたしは短く告げた。
 エアコンが必死に冷気を吐き出してる部屋の中、あたしが耳に当てた携帯電話の向こう側に今はもう誰もいない。無機質で単調な機械音があたしの耳を素通りして消えてく平日の昼下がり。
 高く昇った太陽が、ベッドの中のあたしを照らす事は無い。
 だってカーテン閉めてるもん。

「それであたしを消してちょうだい」

 あたしは一人小さく呟く。
 十八度に設定したここの空気だけが素肌に絡み付くように、あたしに毛布の温かさを教えてくれる。
 此処は漫画本や衣服が散乱した、あたしの部屋。あたしだけの部屋。あたし以外誰も、先生も友達も足を踏み入れる事なんか赦さない、あたしだけの薄暗い聖域。
 毛布は生き物じゃないからホントは冷たいの。人間の優しい温もりが、それを温めているだけなんだよ。
 あたしは自分にそう言い聞かせてる。そして、人間はホントは温かいものなんだって、毎日覚えようとしている。
 そう錯覚して、暗示をかけて、間違って覚える事であたしは、他人を庇おうとしてる。あたしを座礁させようとしてる他人を庇って自分自身を責める事であたしは、ゴミ捨て場に引っ掛かって揺れるビニール袋みたいにギリギリで自分を取り繕っているんだろう。
 ……毛布の温もりなんて、他人じゃなくて所詮あたしの体温でしかないのにね。
 毛布があたしを包み込む事で、あたしには誰かが傍にいて、緩く優しく抱いてくれているんだと思い込むんだ。
 排気ガスとトラックがごうごうと勇ましい声を上げ、国道を駆け抜けていく平日の午後一時。カーテンの隙間から覗く光を拒むようにあたしはたった一枚の毛布に包まる。
 此処は寒くて、でもとても温かい。あたししかいなくて、全ての音が遠く聞こえる所。遠くても全部、聞こえてくる場所。
 そう、あたしには全部、聞こえてくる。誰かが何処かで呟いた陰口も、地球の裏側の戦争の悲鳴も。
 あたしは胎児に戻ったみたいに膝を抱えて丸くなって、目を伏せる。世界は丸く量り知れない、この先あたしはどうなるんだろう、明日の朝に毛布から出た途端息が出来なくなって死んじゃうかも。
 不安定で非現実的な思考が頭の中をメリーゴーランド。目を閉じればゴウゴウ、ドンドンと、働く機械達の低い低ーい音が内側と外側からあたしを揺らしてくる。この聴覚からの錯覚は本当にママのお腹の中に戻ったみたいな演出をくれて、あたしはそれが嫌いじゃなかった。
 この毛布の外に出る瞬間に、生きるか死ぬかの選択を毎回提示してくれるから。





 あのね。あのね。おかしいの。なんだかおかしいの。
 せっかくママが買ってきてくれたのに、この消しゴムは使えないの。
 消しゴム使っても消せないの。
 ぐにぃ…っ、ってあたしの皮膚は形を歪めても、消しゴムで消した所が消えないの。皮膚もすぐに元に戻っちゃうの。
 机の上に踵をあげてね、臑をガシガシ擦っても、消しカスの一つだって出ないんだよ。
 こんなのオカシイよ。
 あたしは消しゴムで消せないの?
 そんな事無い。
 あたしは消しゴムで消せないと困るんだ。
 誰かの記憶の中に残って、ずっと生きるなんてまっぴら。


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