変わらぬ筈の夫婦関係-3
「『コーヒー好きなんだろ?私はたまにしか飲まないが、お前はよく飲むからな』‥‥だってさ、ぷふっ」
岩之助がその場から離れた後、先程の夫のセリフの口調を真似をして瀬尾小夏は、キッチンのガスコンロの前で一人嘲笑う。
昨日の夕食時から引き続いて本当につまらない会話だった。それでも普段よりかはまだマシな方だろうが、これからの夫婦生活さっきのようなやり取りをずっと続けなくてはいけない。それをはっきりと言葉にするならば、まさしく苦行である。
でも、今は違う。今の小夏には遥太が居る。この場に居なくても遥太の方を優先することが出来る。
会話しても小夏の心は1ミリとも揺れ動かなかった。彼女の心には既に遥太が居るのだから。
そして、同時に呆れてしまう。マグカップの変化には気づいても、自分の変化はすっかり見落としている夫に。
いっそ哀れにすら思う。いつまでも愛情を注がなくても、自分が応えてくれるだろうと思いこんでいることに。
前までなら自分は嘆いた。そして、誰に当たることも出来ずに苛立ちを募らせる日々を過ごしていただろう。前までの自分なら。
でも、今はそんなことはない。だって今の自分は――。
「私は遥太の彼女。瀬尾岩之助の妻はもう書類上の役割なんだから」
自分自身に言い聞かせた言葉は、人妻に普段にはない興奮を覚えさせる。
思い返してみれば、自分は『二人の日々』のドラマに疑問を持ってしまった。主人公の既婚者の女性が京平という若い相手に揺れ動いたにも関わらず、結局は元の鞘に収まったことに。
小夏は偶然にもそんな主人公の既婚者の女性と似たような立場になった。
そして、小夏自身も同じように悩んだ。その上で彼女とは違う答えを導いた。
日々の物足りなさを埋めてくれる存在の牧田遥太。そんな彼とずっと居たいと思った時点で、自分が堕ちるのは決まっていたのだ。
「んっ‥‥遥太と早くセックスしたいなぁ」
小夏は岩之助の位置からは見えなかった履いている白いスカートを左手でたくし上げて、右手を履いている黒いショーツ越しの秘部に指先を這わせる。
彼女の反対の手である左手の薬指に結婚指輪は無い。昨夜、購入したマグカップを出す際、ついでに青いケースに入れてドレッサーの引き出しの奥にしまってしまった。今後、出される日はもうないのだろう。
彼女の心の中に、岩之助は微かにまだ居る。ただ、それは今後遥太以上に優先されることはないだろう。既に彼女の中で優先順位は決まっているのだから。
「あんっ‥‥!私は遥太の彼女‥‥そこから結婚するのは自然の流れなんだから‥‥!」
小夏は股間を弄りながら、遥太と歩く未来を想像して恍惚の表情を浮かべる。
今の小夏は遥太に無我夢中だった。現在の夫の存在がどうでもいいとすら思える程に。
瀬尾小夏の名字が変わる、もしくは旧姓の沢井に戻る日はそう遠くないだろう。その傍らに年若い男――牧田遥太が居るのは言うまでもない‥‥。
<終わり>