小夏、自身の想いに気づく-4
遥太が帰った後、小夏は紫色の下着姿でダブルベッドの上で寝っ転がって天井を見上げていた。
一人の女性としての時間は終わった。今は、瀬尾岩之助の妻としての時間だ。退屈な虚無の時間。
だからこそ、先程までの幸福だった時間の出来事ばかり考えてしまう。
彼と共に居て、交わって一つになって、満たされていたあの時間を。
視界の端に捉えたのは、遥太の精液を受け止めたコンドームだ。中身が垂れないように縛ってある。
「これ、開けたら‥‥」
小夏は右手を伸ばして取ると、結び目を解こうとしたが寸前で何とか堪えた。
恐らくこれを開けてニオイを嗅いだなら、オナニーでもしたくなる。そして、自分はまた遥太とセックスをしたくなってすぐにでも呼び出すことになるだろう。さながら、麻薬のようなものだ。麻薬と違って、一応は合法的な物であるのだから尚更笑えない。
先程はからかう大人な立場だったが、一人の女として本気で求めることになる。
小夏は好奇心を堪えて、手に持ったコンドームをその辺に転がした。
「はぁ‥‥」
小夏はため息をつく。
彼女は自分自身で遥太に依存し始めているという自覚を持っていた。心は既に夫から遥太の方へと傾いている。
何もかもがつまらない夫婦生活に戻るのはうんざりだ。だが、そこにすんなりと進めるほど楽な道でないことも知っていた。
本来ならば小夏は迷うべき立場の人間だ。家庭のある大人の人間が、自分だけでなく男子高校生を巻き込もうとしている。
もしかするとこの辺りが潮時、運命の分かれ道なのかも知れない。
「‥‥‥‥」
小夏はふと思う。自分の思いは今一旦置いておくとして、遥太の方はどうなのであろうか、ということだ。
当人は好意の言葉は相変わらずだが、以前と違って付き合ってとは言わなくなったのを小夏は感じていた。
「(遥太くん、私と付き合いたくなくなったのかな‥‥)」
小夏は想像して心が痛くなった。本来ならば関係が進んだら困るのは自分の方である筈なのに。言われなくなった途端にそれが気になってしまう。
思い返してみれば、遥太にとっては告白して自分と付き合うのが目的だった筈。それは告白というか、強姦紛いのあまり褒められた行動ではなかったが。
その告白を受けた小夏自身はそれをすぐに受け入れることが出来なかった。それは自分が人妻で家庭があるという最もな理由。
だからこそセフレという妥協案を用意して様子を見るつもりだった。ところがそのセフレ関係になって交わることで小夏は女としての幸せを覚えて、このまま先の関係に進みたいという欲求を抱くようになってしまった。
遥太を愛して、自分も彼に愛されたい。それでいてこのまま二人でずっと一緒に居られたらどれだけ幸せなのか。
そして、いつかは彼と結ばれ――。
「あ‥‥!?」
そこまで考えて小夏は声に出して気づいた。一周回ってもう答えは出ているということに。
小夏はブンブンと素早く首を横に振った。瀬尾岩之助の妻として否定しなければならない危険な気持ち。だが、それは消えてはくれなかった。
それどころか自覚した瞬間、先程よりも遥太のことを考えてしまう。
かつての自分は男子高校生の手白木颯人と関係を結んでいる友人蘭に対して止める側であった。住んでいるアパートまで赴いて直接止めさせようとしたこと自体は結局は未遂で終わったものの、間違いなく止める側であった。
それがどうだろう。気づけば今や自分の方が男子高校生――牧田遥太の関係に夢中になっているではないか!
「ミイラ取りがミイラになる、か‥‥」
小夏はボソッと呟く。それは奇しくもいつぞやの遥太が呟いたことわざだ。
彼が何を思い、そのことわざを呟いたのは不明だが、小夏は自分が同じように当てはまることに気づいた。
当初、否定していた筈の若い子との性的な関係を持つ考え方。だが、今にして思えば単純に彼女らが羨ましかったのだ。女としての幸せな時間を得られている彼女らが羨ましかったのだと、小夏は気づいた。
そこまで知れば、否が応でも次に自分が望んでいることが分かる。牧田遥太が言わなくなった告白こそが、今の自分が本当に望んでいることだと。
「(私、期待してるんだ。私が遥太くんを愛してるように、遥太くんが私を愛してくれることを‥‥)」
小夏は、ふと自分の立派な乳房の内の左の胸にそっと触れた。心臓はドクンドクンと拍動している。
彼女は心の中で遥太の姿を思い浮かべる。すると、心臓は高鳴った。本来の機能だけではなく牧田遥太への想いを自覚したからであると小夏は思った。いや、きっとそうに違いないと。
先程までの小夏は、ここ辺りが関係の潮時だと大人として、遥太を止める側として迷っていた。だが、それは一転した。
これまでの小夏なら我慢することを選ぶのであろう。一時の気持ちの傾きで全てを失うような選択肢は選ばない、その筈であった。
それでもまだ夫への想いは心の片隅に僅かだが残っている。けれど、それよりも優先することがあることを小夏は今日知って自覚した。
危険なこの気持ちを自分で抑えつけることなく、愛する人と突き歩む道を彼女は選ぼうとしていた。その先に待ち受けるであろう夫婦生活の破滅への不安よりも、その先にある自身の幸せと今の満たされる日常を得る未来の為に。
「‥‥よし。そうと決まれば、明日に向けて――」
小夏は密かに明日へ向けて胸中である決意を固めると、ダブルベッドから起き上がり、ベッド下に降りて散らばっている衣類を拾い上げ始める。
今から遥太と逢える明日が待ち遠しくて堪らなかった。