よっしーあいらんど-1
よしおかりほという。
有名なある女優と同姓同名だが、漢字はちがうので、本人ではない。
その、よっしーが、わたしの中にくらす住人だ。よっしーはわたしの中にすんでいる。くらしている。わたしはよっしーに住まわれているのだ。
よっしーはいつも夜遅くにかえってくる。寝るだけにかえってきている。へとへとにつかれて、かえってくるのだ。
シャワーをあびる。シャワーをあびるのはかかさない。すっ裸のよっしーはきれいだ。写真集にもなっていないそのすっ裸はきれいだ。誰にも使い古されていないしょうしんしょうめいのきれいなからだなのだ。
シャワーをあびる。
ゆたかなふくらみのおっぱいの乳首はぴんとたち、わかいのでむろん、おっぱいは垂れずに前をむいて、重力にさからい、ロケットのようにまえに尖って、そのきれいなかたちを保っている。ちょっと上向きの乳首がきれいだ。乳輪はでかすぎず、上品であり、いろだって、黒ずんでなくあわいピンクいろだ。男遊びはほとんど経験ないんだろう。かといって、性欲がないわけではない。仕事が朝から早いといっても、かかさないのだ。
浴室から上がると、よっしーはなにも食べずにベッドに入る。食べない代わりに、食欲を満たす代わりに性欲を満たすのだ。ディルドが好みだ。ディルドをつかってしつようにあそこを責めるのだ。かなり深くまで、よっしーは責めるのだ。あえいで、おっぱいをもみながら、ときには潮をふいて洗い立てのシーツを濡らして、よっしーは性欲を満たすのだ。
むろんだが。というか、あなたにはわからないだろう。家であるわたしには、家に物たちすべてに神経が宿っており、つまりそれは感覚があるのだ。そう。よっしーのつかうディルドにだってわたしの神経は繋がっており、よっしーあそこの感覚はわたしにわかり、快楽をよっしーと共有しているのだ。つまりわたしはよっしーとやっているのだ。よっしーが満足するまで、痙攣して意識がなくなるまで、わたしはよっしーを満足させているのだ。浴室だってそうだ。シャンプーのポンプを押される度に、わたしには射精にちかい感覚があって、押されるたびにわたしはもだえる。あまりに快楽に、シャンプーという精子をよっしーにかけて、わたしは絶頂につつまれるのだ。
よしおかりほ、よっしーをわたしは愛している。彼女の家だからの感情ではなくて、わたしはよっしーを愛していた。きれいな彼女を手ばなす、つまりもし引っ越しなんてしてしまったら、わたしはずっと泣き、悲嘆に暮れるだろう。それくらいわたしは、よっしーを愛していた。
よっしーは芸能プロダクションに所属する女優のたまごで、だからか、最近人気が出てきて、帰宅時間が遅くなりがちだ。人気が出るのはうれしいが、よっしーとの時間が減るのはかなしい。ずっとよっしーといっしょにいたいのに。だけどそれがよっしーのためならとも思うのだ。
よっしーがやり終えて、すっ裸で寝てしまう。彼女をくるむシーツにもわたしの神経、感覚はあり、彼女の汗のにおいや、よっしーの体液の味はわたしを刺激する。ずっと味わっていたい。よっしーをくるみながらわたしは思うのだ。わたしのものなのだ。わたしの中に住んでいるが、彼女はわたしのものなのだ。家として彼女を護る以上の感情にわたしはつつまれていく。
そのときだ。
チャイムが鳴った。
誰だろう。
と、わたしとよっしーの声が重なった。