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その声を そのぬくもりを
【純愛 恋愛小説】

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その声を そのぬくもりを-1

いっそのこと、死んでしまいたかった。
それが許されないのなら、せめて石になっていたかった。何も考えず、誰の目にも触れることのない、ただの石ころに。
僕が、この引き裂かれそうなほどの自己嫌悪に陥ったのは、今から一週間ほど前の事件からだった。
 その日は朝から、梅雨明け初めての夏を感じさせるような猛暑だった。あれだけじめじめしていた地面も乾いて、白い粉を吹くほどだ。僕はこの暑さが嫌いではなかったし、買い物に出る予定もあったので、この天気はどちらかというと好都合だった。
 じりじりと照りつける太陽の下でマウンテンバイクを飛ばしながら、僕は近くにあるジーンズマーケットへ向かった。そろそろ夏用の新しいジーンズが欲しくなったからだ。
 今考えれば、それが僕にとって最後の幸せと呼べる時間だったと思う。
その悲劇は、僕が家へ戻ってから起こった。
 僕は当初予定していたとおりジーンズを買って、その他にTシャツを三枚ほど買った。
 小遣いが入ったばかりなので、財布の中に余裕があったからだ。それに後一週間もすれば、また両親から臨時収入がくるというのも強みだった。
 実は僕、稲井晃久は来週で、ようやく未成年を脱することができるのだ。
つまり、二十歳になるというわけだ。
二十歳になれば、たいていのことは大目に見てくれる。人目を、特に親の目を気にせず堂々とタバコが吸えるし、酒も飲める。そういう点で、厳しい親を持つ僕にとっては、とても喜ばしいことだった。
 けれど何よりも嬉しかったのは、僕が姉と同じ二十代になれたということだった。
姉は僕よりも三つ年上で、今年で二十三回目のバースデーを迎える。自分では「もう歳だなぁ」
とか、嘆くように言っているけれど、僕はそうは思わなかった。姉は人よりも際立って瞳が大きいせいか、僕と並んでも違和感のないほど幼く・・・いや、かわいらしく見えた。
それに、姉の顔が二十三歳の一定基準だとしたら、うちの大学には四十代、三十代の女子大生がわんさかいることになってしまう。
 そのことを本人に話したら、「もう、晃久ったら、うまいわねぇ。でも、アリガトウ」と、笑いながら言っていた。
 僕は姉が好きだった。
 それは弟として、姉に対する兄弟愛なんかじゃなく。男、稲井晃久として女、稲井百合華がどうしようもないくらいに好きだった。それこそ隙あらば抱きついて、押し倒してめちゃくちゃに愛したいほどだ。けれど僕にはそんな一線を越えようという度胸なんかなかったし、逆にそれが防波堤となって、今の今まで姉思いの弟を演じることができた。
 僕が家へ帰ると、中はまるで幽霊屋敷のような不気味な静まりを感じさせていた。
 「ただいま」と、小声で言ってみる。もちろん反応はない。両親は共働きだし、姉も今日は朝から出かけていて、僕が起きたころにはもう誰もいなかった。
 しずしずとキッチンへはいり、冷蔵庫を開けると、中から食パンを一枚取り出した。くわえて、パタンと閉める。
 「なんか、変だな。そういえば家の鍵、何で開いてたんだ?閉めて出なかったっけ?」
 そう言って、ふと横を見ると、テーブルの上に一枚の紙切れが置いてあるのが見えた。
近寄って、手にとって見てみる。父さんの字だ。しかもなにを慌ててかいたのか、思いっきり書きなぐっている。
 「えっと、なになに」と、目を凝らす。
 「・・・姉さんが」
 『百合華が事故に遭った 大学病院だ』
 「事・・・故・・?」
 一瞬、息が止まった。瞬きを忘れ、がたがたと手が震えた。
 何かの冗談かと思い、頭をぶるぶる振ってからもう一度、メモに目を落とす。
 同じだった。
 「姉さんが、事故?」

息を切らす暇もなかった。


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