Mirage〜3rd. Seperation〜-3
はっ、はっ、はっ──
自分の呼吸音がやけに大きく感じる。
僕は自転車を門の前に放り出し、灰色の無骨なコンクリート作りの建物へと駆け出した。学校から自転車を飛ばして30分。僕の体力はほぼ限界に近かった。それでも、ここは病院だから倒れても大丈夫、などという馬鹿げたことを考えてしまったということは、案外余裕があったのかもしれない。
頭蓋骨の中に刻み込んだ千夏からの情報を読み取りながら、エレベーター待つ。それが1階まで降りてくるのを待つ時間すらもどかしく感じた僕はついには階段を駆け上がり始めた。「廊下を走らないで下さい!」という中年の看護師の言葉に若干の罪悪感を覚えながらも、僕は一気に4階までの道程を走破した。
千夏に言われた部屋番号の前に立ち、ネームプレートで『筑波 美沙子』の名前が容赦なく黒の油性マジックで書かれていることを確認して唇を噛んだ。そして、重大なことに気付く。
ネームプレートが、1枚しかない。
個室。病院におけるこの単語の意味は、あまりそういった施設に縁のなかった僕でもわかる。少なくとも検査入院ではないことぐらいはわかっていたが、その横たわっていた事実の巨大さに愕然とする。
胸の中で膨張する負の感情を掌で強引に押さえつけ、開いた右腕で「何かようか」とでもいいた気で仁王立ちする白い無愛想な引き戸をノックした。かたかたと震える自分の利き腕がとても情けなく見えた。
「はい」
待ち望んだ声。
なのに、何かが違うことに僕は気付いていた。
未だに震えを止めない腕で戸を開ける。
彼女は、最初は驚いたようだった。
しかし、本当に驚いたのは僕の方だった。
肩胛骨に届くダークブラウンの髪、よく二人で歩いたころには風に靡いてそこから漂う香りに酔いしれたものだった。
けれど、無機質でのっぺりとした白い病室に風は無い。
そして彼女にも、あの艶やかな流れは存在しなかった。
彼女の頭部には白い包帯が幾重にもわたって巻きつけられていた。
「何で‥‥」
彼女がようやく発したその声で、僕は現実へと引き戻された。
「千夏に、教えてもらった」
「何で千夏ちゃんが──」
そこまで言って、彼女は何かに気付いたように目を見開き、慌ててその細い両腕で頭を押さえた。
「‥‥びっくりした?」
彼女はそれでも諦めたように両腕を下ろすと、寂しげな目で僕を見た。