糸の色-1
昼間の澄んだ青空はとっくに消え、色とりどりのネオンに彩られた街は、週末前の夜を楽しむ恋人たちで溢れている。
あきはパソコンを閉じると周囲を見渡した。課長たちが殺気立っている。左遷が決まった部長が、仕事を部下に押し付けて早々と帰ったため、後処理に追われているのだ。
その中に、宏の姿もある。その表情は真剣そのもの。普段から冷静である宏は、仕事になると、時に冷酷にも見える。
課長も宏も、あきの存在を忘れているかのように、夢中で仕事をしていた。
そんな宏をちらりと見て、すぐに視線をはずしたあきは、そっとため息をつくと、控えめの声で挨拶をし、静かにオフィスを後にした。
世の中に運命の糸が存在するならば、それは前世から繋がっているのだろうか。
今世で出会い、恋人になっても、前世とは違う性格や育った環境などで、糸の色は変化していくことも、たまにはあるのではないだろうか。
ロッカールームへ向かうあきの心はまだオフィスにあり、足取りは重かった。
「あきさん、課長を手伝っていたんですか?」
後輩の百合が更衣室の中心に陣を取り、化粧を直しながら言った。
「……うん。つい、断れなくて」
あきはロッカーからバックを取り出す。携帯電話にメールの着信はなかった。
「あきさんは人が良すぎますよ。適当に理由つけて帰っちゃえばいいのに」
「……そんなことないよ。今も課長たちを残してきちゃったし」
「これだけ手伝えば充分ですよ!あきさんがなかなかこないから、ゆり、心配しちゃいました」
マスカラを終えてパッチリ目になった百合の顔は、仕事のときとは別人のように華やかになっていた。
あきはなんとなく気恥ずかしかった。普段、仕事後の化粧直しに時間をかけない。バックから手鏡を取り出し、直しようのない自分の顔をじっと見つめた。
「沢田さん、まだ仕事していました?」
沢田とは宏のことである。あきはドキッとした。百合の口から、その名前を聞くのは初めてだった。
「……うん。まだ課長と仕事をしていたよ。でも、何故?百合ちゃん、沢田くんと親しかったっけ?」
冷静を保とうと、鏡に映る自分を見つめながら言う。そんなあきの言葉に、百合はかすかに笑みを浮かべながら言った。
「実はゆり、こっそり狙っているんですよ。沢田さんって、いつも冷静に仕事をこなしていて、課長を補佐しているじゃないですか。今は若くて下にいるけど、将来は絶対出世すると思いません?」
あきの心はもやもやしていた。百合の言っていることには共感できる。けれど、その相手が沢田宏だということが気にかかった。
「たしかに、いつも冷静だよね……。でも、恋愛面でも冷めていそうじゃない?」
「あはは!確かに。そんな感じしますね。あきさんは沢田さんみたいなタイプは無縁そう。沢田さんに赤い糸や運命の出会いなんて言ったら、鼻で笑われそうですもんね」
ちらかった化粧道具を片付けながら言った百合は、笑みが消えたあきの表情に気がつかなかった。やがて時間を気にしながら百合が出ていくと、室内は急に静かになった。
ノロノロとした動作でバックから携帯電話を取り出すと、あきは恋人にメールを送った。
「沢田さんみたいなタイプは無縁そう」という言葉と、化粧直しを終えた百合の姿が、ひとつにからみあってあきの心に傷を作っていた。
かなり時間がたってから届いた返事を確認し、暗い表情のまま更衣室を出ていった。