母と子の恥臭-6
「ふふ、うちは父子家庭だったけどね。両親は私が高校生のときに離婚して、それから父ひとり子ひとり。私が結婚してしのが生まれたときは、家族が増えたことすっごい喜んでくれたのになあ。離婚して親不孝しちゃった」
さおりさんが肩をすくめる。
「お父さんって、いまどうしてらっしゃるんですか?」
「田舎で一人暮らし。でもねえ」
ぐい、とグラスを空けて、ちょっと呆れたような仕草をする。
「どうやら彼女ができたっぽいんだ。還暦ちょっと過ぎだから、まだ元気だってのもあるんだけど、私が離婚して実家の近所からここへ引っ越してきたら、なんか弾けちゃったみたいでね」
振り向いて冷蔵庫からスーパードライを出して、プルトップをしゅこ、と開ける。
「まあ、一人で寂しくされているよりはいいかな。前は電話すると長電話になったのに、最近はそっけなくなっちゃった。あれ、彼女からの電話待ってるんだろうなあ」
「でも、さおりさんも安心じゃないですか、お父さんのこと」
「たしかにね。うち全然お金なんかないし、どうも再就職先の年の近い人がお相手っぽいから、悪い女の人に騙されてる可能性も低いし。もし本当にいい人で、父が再婚したいなら賛成だなあ。お兄ちゃんの言うとおり、不安が少なくなるもの。今のところ大丈夫だけどそのうちボケたりするかもしれないし」
チーズクラッカーを齧るぽりぽり、という音が軽やかに響く。しのちゃんはテレビに釘付けのままだ。
「しのにはお兄ちゃんがいるし、父にも彼女がいるかもしれない。次は私の番かな」
ここで気の利いたことが言えればなあ、そしたら26まで素人童貞なんかじゃなかっただろうなあ。
「ま、31にもなるシングルマザーだからね、ハードルは高いよね多分」
「や、そんな、そんなことはないですよ」
どうにか言葉が出る。スーパードライで唇を湿らせて続ける。
「さおりさん、俺なんかにもやさしいし、それに、その、年下の俺が言うのも生意気ですけど、あの、かわいいし」
ちょっと赤らんだ頬のさおりさんが、ふふ、と笑う。
「お兄ちゃんにそう言われるのうれしいなあ。しののことも、そうやって褒めてくれているのね」
「え、や、でもお世辞じゃないですよ」
「ありがとう、まあ、私も頑張る。しのに負けてられない。お兄ちゃんみたいな素敵な彼氏、見つけなきゃね。あはは」
三本のスーパードライでちょっと酔っちゃったのかな。いつもよりも口調が陽気だ。
「でもね」
ふっ、と、さおりさんが真顔になる。お笑い芸人の大げさなリアクションの声にきゃははー、と笑うしのちゃんを見つめる。
「お兄ちゃんがしのの『こいびと』になってくれてから、私も精神的にいろいろ余裕ができた。前は、もっとギズギズしたところがあったかもしれない。小学校は馴染めてないし、私も新しい仕事始めたばっかりで心にゆとりがなかったのね。でも今はだいぶ違う。しのが、毎日笑顔でいてくれて、お兄ちゃんのこと大好きっていっつも言っていて、それが私をとっても和ませてくれる」
さおりさんが、俺の顔を見る。頬は赤いけれど眼差しは真剣で、でもどこか柔らかい。
「しのとお兄ちゃんのこと、私なりに思い悩んで結論を出したんだけど、間違ってなかった。うん、そりゃ親の身勝手としては、しのにいつまでも無邪気で清らかでいては欲しい。けど、お兄ちゃんがしのを心から愛してくれて、二人が後悔しないのであれば、お付き合いの上のことは、私は二人にまかせたいと思ってる。ちゃんと正直に私に言ってくれれば、ね」
胸がいっぱいになる。その胸の片隅にちくり、と刺さるものは、さおりさんの恥臭でオナニーした罪悪感なのかな。
「獅子神山への紅葉狩り、いつ頃行こうか。私、ほんとうにお邪魔虫じゃない?」
俺は自分でも子供っぽいなと思いながらも、ぶんぶん、と横に首を振った。