彼の手の中<第一話>-1
この席が好き。1番後ろだから、座ったままで棚に手がとどくし、昼寝もできるし漫画も読める。勉強はつまらないし、集団行動苦手だし、本来なら学校なんて来たくないんだけど。この席なら来てやってもいい。
何より…宮川がよく見えるしね。
軽快にペンを走らせるその左手は、骨っぽく私の二回りほど大きい。太陽に照らされてキラキラ輝く茶色がかった髪。授業中にだけ掛ける黒ぶちの眼鏡も、切れ長な瞳によく似合っていて。
感嘆の溜め息をつこうとしたその瞬間、宮川がこちらに振り返り、目が合った。突然のことに硬直してしまう。
「どうした、早瀬」
教師に名前を呼ばれ、意識を取り戻す。周りを見渡すと、全生徒たちの視線が私に集まっていた。
「と、問四ですよ」
隣の男子があからさまに怯えた声でそう囁いた。どうやら、宮川に見取れている隙に当てられてしまったらしい。まだぼんやりとした頭で問題を眺めてみたが、到底解けるはずはない。
「…わかりません」
「聞いてなかったんだろ?罰として課題を出すから、放課後、数学科に来なさい」
途端に、教室中がざわめく。
数学教師の江上は一年二年と担任で、三年になった今でも何かに付けて私を呼び出したり、やたらと雑用を頼んできたりし、私と江上は付き合っているという噂まで流れている。私は元々感情表現が苦手で、取っ付きにくがられているため好奇の的になりやすく、その噂は学校中に知れ渡っている。おそらく、宮川にも。
視界の端にいる宮川は、既に前へ向き直っていた。安心したような、寂しいような、掴みようのない気持ちが渦巻く。
「早瀬、いいな?」
江上が歯並びの悪い口を半開きにして、私を見つめていた。
「他の生徒なら注意で終わるのに、なんで私には課題なんですか?」
教室がしんと静まり返る。もう限界。
「キモいんだよ、テメェ」
「な、なんだと?俺がヒイキしてるとでも言いたいのか!?」
「そーだよ!この変態きょー」
「してるでしょ、ヒイキ」
私の言葉を遮って、響いた声。その声の主が、私にわからないはずはなかった。でも、信じられない。
「みんな思ってるでしょ。少なくとも俺はそう思ってるし」
宮川だ。彼は、淡々とそう告げ、江上を真っすぐに見据えた。私はただただ呆気に取られる。
「なんだその言い草は!早瀬も宮川も、放課後、私のところへ来なさい!あ、あとは自習!」
江上はそう言い捨て、そそくさと教室から出ていった。
体温が急上昇し、状況がうまく理解できず混乱に陥る。顔の紅潮がばれないように俯きながら、横目で宮川の方を見た。宮川は何事も無かったように無表情でノートを写していた。