短歌というもの-1
秋の景色がさらに濃くなり、広い庭の木々からは、赤や黄色くなった葉が重なり落ちている。
落ちたその病葉は、次の風に舞い上がり辺りを赤や黄色に染めていた。
この間まで、開放的で好きだったあの夏は、いつだったのだろうか……。
それは過ぎ去った遠い思い出のように、今はその面影さえもない。
その庭を見ながら、雅美は夏に抱かれて詠んだ三首を思い出していた。
熱き夏 君に抱かれしそのときの 燃えし柔肌 今は懐かし
狂おしく わたしを抱きしあの人は いまは遠き 思い出の人
恋こがれ 君に逢いたしわが心 遂げぬ思いに ただ泣き濡れて
その歌が、雅美の素直な今の気持ちだった。
詠まれた時の、その切ない思いと、燃えたぎる心の愛欲が雅美を熱くさせていた。
夕闇せまる深秋はなぜかもの悲しい。
綾川雅美がこれから開こうとしているエロス短歌倶楽部は、
倶楽部と呼べるような高尚な倶楽部ではなかった。
巷で開催しているような短歌会や短歌倶楽部でもない。
そして雅美自身も、それほどに短歌に精通している女でもなかった。
今、部屋の机のスタンドに照らされた雅美の手元には
「古今和歌集」が無造作に置いてある。
その和歌集の開かれたページには、沢山の歌人の恋の歌が書かれている。
忍ぶれば 苦しきものを人知れず 思ふてふこと 誰に語らむ
(恋心を隠していると苦しいけれど、人知れず恋い慕っていることを
誰に話そうか、でも話す人もいない)
それをみても感動は起こらない。雅美は次の歌を指でなぞってみる。
つれなきを 今は恋ひじと思へども 心弱くも 落つる涙か
(つれないあの人を、今はもう恋しく思わないようにしようと思うけれども、
もろくも落ちるこの涙か)
ダメ、わたしにはこのような歌は感動さえ起きてこない。
どれを見ても、どうしてこんなに優しいの、もっと激しい歌はないの?
と自分に言い聞かせていた。
それならば、わたしが……。
雅美がその倶楽部を開いたのは、それなりの動機があった。
しかし、その短歌は自分の特技として、特に人様に披露できるほどの技量ではない。
それは自分が一番よく知っていた。
それでも自力だったが、それなりに多少の自負を持っていた。