短歌というもの-3
当然、このような名称では、どこの公共施設でも部屋は貸してはくれなかった。
雅美が普通の短歌ではなく、エロスにこだわったのにはある理由があった。
その雅美は今は、三十代半ばの独身であり、相当な美人である。
若い頃に、一度だけ結婚をしたことがあるが別れた。
それは男の浮気が原因だった。
一時期は金に困り、水商売に関わり、ホステスや雇われマダムをしたこともある。
それ以外にも何でもした、色々あるが身体だけは売らなかった。
そんな経験を生かして、なぜか短歌を造ってみたいと強く思った。
それが生き甲斐になっていたからだ。
以前、自信を失い、自分でできること、それを真剣に考えたとき何もなかった。
目的の無い寂しい人生を自分で精算したいと思っていた頃、
その中で見つけた一筋の光。それが短歌だった。
正式に習ったわけでもなく、自我のままに覚えた短歌の世界。
それを教えてくれたのは、自分の身体を通り過ぎていった男達だった。
(それでも良いの、きっかけはどうであれ、作ることに意義がある)
そのように思い始めてから、ノートに書き続けた作品。
恥ずかしくまだ誰にも見せていないノートは3冊になっていた。
以前、習っていた短歌の講師から褒められたことがある。
「君は短歌の才能がありそうだ、どうかな私の個人レッスンを受けてみては」
「はい! ありがとうございます、お願いいたします」
小さい頃から、あまり褒められたことがない雅美はそれが嬉しかった。
講師は美しい雅美の身体が目的だった。
その講師は、ラブホテルで雅美を抱きながら、短歌を詠んだことがある。
君を抱き 熱き想いを 抱きつつ 我のからだは きみを貫く
昔の男や、その時々の経験が、今の雅美の短歌の源流になっている。
それが、通常と変わった倶楽部を立ち上げた動機だった。
短歌は俳句と違い「季語」に拘る必要がない。
題材は自由であり、三十一文字のなかに言葉を乗せれば良い。
古くからある由緒としての和歌もその一種と言える。
雅美はこれらの中にも、有名な恋歌が無数あるのは知っていた。
しかし、雅美はそうした品のあるものではなく、エロスに拘りたかった。
雅美がエロスに拘るのは、エロスこそ人間の本質を捉えていると思うからだ。
それは呪縛のように雅美の心と身体の中に深く巣食っていた。
まさに、エロスを賛美する短歌は、雅美そのものであり
邪道と言われようと、その道から外れていたとしても、
それを変えるつもりは雅美にはなかった。