短歌というもの-2
「短歌倶楽部」を作るということ、それは好きだった男の影響がある.
その男は雅美と交わった後でよく短歌を詠んでいたことがある。
自分に才があることを自慢したかったのかもしれない。
雅美はその男が本当に好きだった。
今までに抱かれた男達にはいないタイプで、キザな男だが、
その時には結婚しても良いかなと思っていた。
しかし、あっさりと捨てられた。
今でも男が雅美を抱きながら読んだふたつの歌が忘れられない。
好きな人 抱き交わり果てたあと 眠りし顔の 白き眩しさ
豊満な 裸体に触れしわがこの手 熱き乳房に こころ乱れて
それを受けて詠んだ雅美の歌がある。
愛されて 愛され続け今日もまた 貫く人に こころを寄せて
雅美の好きなことは短歌を作ること、
それ意外では少しばかり性的なことが好きな女だった。
彼女に関わった男は少なくない。その経験を短歌で表現したかった。
それに小説を書くほどの才能もなく、
あるとすれば短歌を詠むことが好きだからである。
どうして短歌をエロスで表現したいのかと言うと、
それが好きだから、それに尽きる。
雅美にとっては、確かに名のある短歌は高尚だが、自分には退屈だった。
自分が詠む短歌は心の内面から表現したい、例え愚作と言われても。
そういう意味では、雅美は与謝野晶子の情熱的な歌が好きだった。
あの燃えたぎる情熱の歌人、女の欲情的な晶子の歌が好みだった。
狂おしいほど好きな男と駆け落ちをして、その妻となった晶子。
そんな情熱的な与謝野晶子が雅美は好きだった。
やわ肌の あつき血汐にふれも見で さびしからずや 道を説く君
(血のたぎるようなこの熱い柔肌に触れもせずに、
道理を説くあなたは寂しくはないのですか)
それでも、雅美から見れば晶子の歌では満足が出来なかった。
もっと心の中から情欲的で、もっとドロドロとしたものを見たい。
それならば、自分でその場所を確保し、同じ志をもつ仲間と好きな歌を詠めばいい。
そのような熱い想いが雅美の心に芽生えていた。
その「エロス」という絆で繋がっていたいという思いは強かった。
それで「エロス短歌倶楽部」という妙な倶楽部を立ち上げたのである。