ボロネーゼ・メリーゴーラウンド・そして-3
しのちゃんが、立てたメニューの脇から顔を半分くらい覗かせて小さな声で言う。よろしかったらドリンクバーお付けしますか、ランチタイムは百五十円でご提供できますが、と笑いながら言うウエイトレスに、お願いします、と苦笑いしながら返事する。彼女の目には、さぞ微笑ましい親子の姿に映っているに違いない。ていうか、そうであってくれたほうがいろいろ穏やかでいい。
緑色の炭酸水と氷を入れたプラスチックカップを、真剣な顔つきでこぼさないように座席まで持ってきたしのちゃんは、座るなりそれを三口くらい飲んだ。
「ふふ」
「なんだよしのちゃん」
コーヒーを淹れて一足先に席に戻っていた俺は、口をつけていたマグカップをテーブルに戻した。いたずらっぽい目で笑っていたしのちゃんが、メロンソーダのストローを人差し指で突きながら言う。
「なんか、パパといっしょにご飯食べに来たみたいな感じ」
今日の俺は苦笑いしっぱなしだ。
「しのちゃんのパパと俺って歳近いのかな」
そういえば、しのちゃんの父親について突っ込んだ話をしたことはない。
「うーん、パパは、確かママより……5歳下?だったかな」
「え、じゃあ多分一緒だ」
しのちゃんの母親は七月から始まった人気ドラマのヒロイン役を演じる女優と同い年だ、としのちゃんからはるかぜ公園で聞いた。とすれば31歳だから、しのちゃんの父親と俺は間違いなく同世代だ。
「えぇ、ほんと?でも、パパのほうがたぶん若く見える」
ひっひっ、と笑うしのちゃんの頭を、メニューの角で軽く小突いて黙らせる。ちょうどボロネーゼとセットのサラダが届いたので、ウエイトレスにあらぬ誤解―というかなんというか―を受けないようにするためでもあったけど、からかわれてちょっと悔しかったっていうのもあったな。
「このドレッシングおいしー。うちにもほしいなぁ」
しのちゃんがレタスを咀嚼するしゃく、しゃくという音を聞きながら、俺もフォークを手にしてサウザンアイランドドレッシングがかかったグリーンサラダを食べる。しのちゃんが欲しがってた「かわいいおかし」はこの後買いに行くつもりだけど、ついでに地下の食料品売り場でドレッシングも見てみるか。でも。
「そういえばしのちゃん、今日のことはママにはなんて言ってるの?」
「なんにも言ってない」
トマトを頬張りながらあっけらかんと言う。
「え、じゃあ、お菓子買って帰ったりしたら……」
「んー、そんなにたくさんじゃなければたぶん平気。ママもときどきお菓子もらって帰ってくるけど、お酒飲んでるから覚えてないっぽいし」
店で出していたりお客から貰ったりしたものを持ち帰ってきてる、ということか。酔って覚えていないお菓子の中に混ぜてしまえばわからない、確かにそうかもしれないな。ああ、こんなこといちいち悩まずに、正々堂々としのちゃんとつき合いたい。
テーブルにボロネーゼとチキンソテーが届く。さっきジェットコースターで見せたような笑顔でしのちゃんがはしゃぐ。生活環境は決して悪くなさそうだからトマトパスタくらい家でも食べてるとは思うけど、やっぱり外食、それもデートでの食事はテンション上がるよな。俺だって露骨に顔に出さないだけで、いま食ったサラダはどんなミシュラン店のサラダより美味かったし。
しのちゃんは8歳にしては食べ方も上手で、フォークにパスタを上手に巻き付けて食べている。そういえばサラダを食べているときだって、フォークと皿がぶつかる音はほとんど立てていなかった。しのちゃんの母親、しつけは結構きちんとしているっぽい。あ、左手にスプーンを持った。フォークでパスタをスプーンに乗せてくるくる巻こうとして……失敗してる。しのちゃん、それテレビかなんかで見たんだろうけど、マナーとしてはあんまり……まあ、真剣な顔つきがかわいいからいいか。
俺のチキンソテーにはミートソースがたっぷりかかっていて、鶏肉もちゃんとモモ肉でジューシーでなかなかうまい。付け合わせのナポリタンもバターが効いている。こういうのでいいんだよこういうので。デートの初回でチェーンのイタリアンはない、とか言う奴がいるけど、チェーンの味をなめるなよ、と言いたい。それにこの、しのちゃんの嬉しそうな顔。外食っていうシチュエーションに気持ちが高まっているのもあるだろうけど、親しみ深い食べ物を好きな人と食べる楽しさって、別にしのちゃんみたいな幼女だけが持っている感性でもないんじゃないかな。