本選会-1
封筒にはマル秘の印が押されていたので、美景は家に持ち帰って自室で開封した。
中には一枚の紙が入っていた。そこにはURLとパスワードと、「決して他人に見られない条件でアクセスすること」という注意が印刷されている。
それに従い、美景は自分のPCからそのアドレスにアクセスした。指定のパスワードを入力すると、「ミス和天学園高等学校コンテスト 最終選のご案内」と題されたページが現れる。
それによると、文化祭での生徒による投票は実際はあくまで予選だったという。上位得票者を対象として、今度の日曜日に改めて本選を開催するというのだ。そういえば、1位、2位の票を獲得した同じ2年の山西梨佳、大渡奈津江も、まだ「ミス」「準ミス」とは発表されていなかったことを思い出す。
会場は学校の第2会議室。限定公開で開催する、ということだ。しかも、このコンテストについて、部外者への口外を厳禁する趣旨も書かれている。そこに美景も何か不審さを感じないではなかった。具体的な審査内容は何も説明されていないから、いったい何が行われるのか、気になりはした。来場は制服で、とのことだ。
さすがに水着審査も行うから用意するように、みたいなことは書かれていない。実は彼女は中学生になって以降に夏に海などに行ったことが無いため、今の体型に合うものはスク水以外持っていない。
ミス和天高に輝いた女生徒は入学案内のパンフの表紙写真を飾り、また10月末のオープンキャンパスでは入学希望者への在校生からの学校紹介を担当し、メディアの取材も受けるなど、学校の顔になるという。
目立ちたい願望など全く無い美景だから、そういった注目や名声は別に欲しない。
何か怪しげな気がするし、勝ってもしょうがない。文化祭で「予選」に出ることでクラスでの役目は果たしたのだから、わざわざ本選に出るまでもない。辞退しよう、と思いかけた。
だが続いて優勝者の特典として挙げられていることを読むと、美景も捨て置けなかった。特待生として扱われ、卒業までの授業料は免除するばかりか、これまで支払った学費も返還するというのだ。
これが本当なら、他のことはさておき、美景も大きく心動かされることだった。
というのも、いま深瀬家の家計は、たいへん苦しい状況にあったからだ。
その発端は去年の夏に遡る。
美景の父・竜一郎は、製薬会社に勤めていた。だが責任ある立場で会社の重大な不祥事を知るに至った時、それを解決しようという姿勢が社内にまるで無いことに失望したあげく、内部告発するという挙に打って出た。正義感の強い竜一郎は、医薬品という人の命が関わるものだけに捨て置けなかった、というのだ。
その告発自体は、確かに無駄ではなかった。一部のマスメディアが注目しはじめると、会社側は本格的に騒ぎになるのを避けようと、追及が深まる前に内密に事を処理した。結果的に、そのままなら起こっていただろう薬害は深刻化する前に食い止められた。命を救われた人だって何人もいたはずだ。
けれどもこういう告発行為を働いた者にとって日本社会は、企業は、甘くはない。父は会社の信用を落とそうとした裏切り者扱いされて社内に居場所を失った。事が表沙汰になる前にもみ消されたため、味方する者もほとんどいない。パワハラを重ねられたあげくに年の暮れには退職に追い込まれた。しかも要注意人物として業界のブラックリストに載せられたらしく、再就職の目処もまるで立っていない。
ずっと両親共働きだったのが幸いし、父が失職しても深瀬家はいきなり無収入にはならない。貯金もそこそこある。母の真由美がフルタイムで働いていなかったらと思うと美景もゾッとした。小学生の頃は母親が家にいる友達を羨んだこともあるが、それがいかに幼稚だったかを今さらながら感じた。
だが今や大黒柱となった母が仕事を増やして大変そうなのは、毎晩遅くに帰ってきたときの様子を見てもわかる。
「俺は穀潰しも同然だから、いつでも家から追い出してくれたって構わないんだよ」
父は自身を蔑んでそんなふうに言っている。もともと共働きで家事のほぼ半分は分担していただけあって、今は家事を一手に引き受け、専業主夫として家族に尽くしているにもかかわらず、だ。それに、昔から料理は母より父の手作りの方がずっと美味しいのだが。
家族はみな勇気と正義感にあふれた父の行動を誇りに思いこそすれ、恨んでなどいない。誰も追い出そうなんて言うわけが無かった。母方の祖母だけは父の行動を愚挙として非難したが、母は自身の実母とほぼ絶縁状態になってでも、父に味方することを選んだ。
生活はかなり切り詰めたが、今でも何とか家計はやっていけている。だがこのままでは弟の充は公立高しか行けないだろう。なお私学に通い続けている美景は申し訳なく思い、家計を助けようと近所の花屋でアルバイトを始めた。だが週末のみで、学業に支障を来たさないよう、絶対にこれ以上は増やすなと母から釘を刺されている。
ここで学費免除ともなれば、家族のために必死に働いている母のためにも、勇気ある行いをした父のためにも、どれほど助けになるかわからない。彼女自身はあくまで国立大志望一本でやっていくつもりだが、弟の高校進学の幅も広げられるかもしれない。
ミス和天高校の美人としての誉れも、学園の顔としてのステータスも美景はまるで欲しくなかったが、この実益ばかりは違う意味を持っていた。