空の上と地の底-4
「はい」
「事件の事は忘れられない。毎日思い出す。娘や嫁さんが本当は生きてる夢を見て、起きてから吐く」
淡々と父親は語る。
見えない傷を抉る為かも知れない。
まだ治ってないんだ、こんなに俺は痛いんだと。
「一生俺は忘れられない。世間が忘れて、あいつらが出所して事件を忘れて暮らし始めても、俺は忘れない。許せないからだ」
父親の家に車が着く。敏之は、仕事があるからと上がる事は辞した。
「犯罪被害者支援団体がな。高校生に講演しないかと云って来た」
「どうされるんですか?」
「俺には無理だと断ったよ。決まってる。真面目に聞かねぇガキが居たら、何するか解らねぇ。自分が怖いんだ。ただの高校生手にかけたくねえ」
車を降りて、父親は谷町に声を掛けた。
「あんた、娘さんが居たな」
「ええ」
「幸せになると良いな。なあ、谷町さん。俺がこんなに祈ってるのに、どうして不幸はなくならねぇんだろうか」
車を走らせながら、敏之は思う。
これでも少しは減ったのだろうか、と。
会ったばかりの頃の父親は、街で娘をさらったのと同じ車を見ただけで気分が悪くなり、時には吐いた。
遺体発見場所の地名を聞くのも嫌がった。
今はそれも少なくなったようだ。だが彼の傷は癒えた訳ではない。奥に潜っただけで、血を流し続けている。
子供を大事に思わない親は居ないと云うのは嘘だ。
それでも彼は大事に思っていた。
最早どうにもならない事ではある。
犯人達を全員死刑にしようと、もう彼の娘は返らない。それが現実だ。
墓に行くと、いつも思う。彼女は今はもう、痛くないだろうか。悲しくないだろうか。怖くないだろうか。母親とは会えただろうか。
きっと、名前を呼んだだろうから―――。
車を脇に停めて、敏之は声を上げて泣く。
助けてあげたかった。
世の中の全ての人間を救えはしない。
けれど自分の目の前を歩いたあの子を、助けてあげたかった。
助けてあげて、もう怖くないよ、お母さんに会えるよ、家に帰れるよと云ってあげたかった。
真っ暗なビルの中で彼女が感じた絶望と痛みと恐怖を犯人に与えてやりたいと思う。
けれど、全て無理な事だ。
敏之も父親も、歩かなくてはならないのだろう。
痛くて痛くて堪らなくても。
涙を拭いて、敏之は再び車を走らせる。
娘の声が無性に聞きたくなった。
少女の父親には、もう叶えられない事だ。
敏之は時折、聖書の言葉を思い出す。
命は人間を照らす光であった。
光は暗闇の中で輝いている。
暗闇は光を理解しなかった。