恥辱と絶望の朝-1
1
また新しい朝がきた。
今日も新しい絶望の朝だった。
窓から差すオレンジ色の光が、「メスブタ小屋」の部屋のむき出しの地面の床に影を落としている。流れ込む風は温かく、森とコカ畑からの独特の空気を流し込んでくれる。
(朝食係じゃないのと、どっちが良いのかしら?)
ただし週に一度の朝食準備の係の前の晩には、基本的に「夜のお勤め」は免除されることになっている。日中のコカ畑での労働や洗濯だけでなく、炊事やパン焼きも大事な役目なのだ。そろそろ、朝のパンと一皿の付け合わせが準備されている頃だろうか。
女二人の相部屋にはしかし、濃厚な昨晩の乱交行為の残り香と気配が漂っている。とっくに慣れていたとはいえ、二人分の女の発情臭の十人ほどの男たちの残していった体臭と精液の臭い。
このゲリラ村の一角、村から拉致された奴隷女の住まう平屋の長屋は「メスブタ小屋」以外に「便所」という呼び方をされている。つまり、性欲の捌け口。そしていずれは妊娠して、堕胎出来なくなった大きなお腹で村の辺境に捨てられたり、赤ちゃんをブラックマーケットに売り飛ばされたりするのだ。
ここには普通の尊厳も何もない。
彼女たちは村から拉致された「奴隷」で「生きた資産や道具」だから。
ただ、この辺りでは暗黙の不文律やルールがあって、「妊娠して数か月」または出産(赤ん坊を転売されることも多い)、それで解放されることが多い。ずっと居続けるような人や場合もあったが、希望者は「二年くらいで解放」ということが多い。
それは破れかぶれの反乱や強引な脱走、ある村人たちによる救出作戦の強行を心理抑止するためだった。ゲリラ側からすれば「村人は略奪対象の農作物」みたいなもので、奪い尽くしたり完全には滅ぼさずに「生かさず殺さず」で「女種付けしてリリース」という発想だ。まさに「持続可能な虐待・搾取」というふざけた合理性のやり方である。
(うっ)
ミレーユはふと、昨晩の一人の顔を思い出して、口元を片手で覆う。
あれは、あいつはたしか、農作業で一緒にいた叔父を撃った仇ではなかったか?(姪を「徴発」という「拉致誘拐」から守ろうとした気の毒な叔父さんはどうなっただろう?) もしもあんな奴の子供が出来たらどうしようと、にわかに恐怖に襲われる。力尽きて、汗と体液の染みついたシーツでそのまま眠ってしまった。
慌てて、掛け布を捲ってヒリつく恥部を見る。
それだけで生臭い。
鼻の頭に皺を寄せて唇を噛む。
(私は「便器」と同じ)
コカの葉を口に含ませたり、催淫効果のある薬物飲料なども使われるので、行為の最中には頭がぼおっとして思考が停止している。嫌悪して哀しみながらでも、感じたり絶頂することも珍しくはない。
だが、覚めてしまえば、虚しさと屈辱感。
精神的な満足感には遠い。愛情も温かさもない。
(気持ち悪い)
朝のシャワーの前に、バケツに水を入れてがに股でまたぎ、汚れた股間を洗う。温水のシャワーは「お勤め」した女にとって特権ではあるが、時間の問題もあった。
慎重に指を姫貝の痺れた蜜口に入れて、胎内に滞る遺留物と愛液を掻き出す。穢れが、ポタポタとバケツの水面に落ちる。自分で新しく濡らして、新しい牝の分泌液でも洗い出そうとする。とても虚しい。
2
「朝。シャワー行こう」
眠っていた、相部屋のパトラ(パトリシア)を起こす。
たしか三歳年下で、十八歳だとか。
綺麗な鳶色の髪は艶やなロングで、やや筋肉質な身体はボーイッシュな活力に溢れていたけれど。
ここでは男どもの慰みものの玩具でしかない。
最初の頃はよく「帰りたい」と言っては泣いて、だんだん妹みたいな間柄になっていた。お互いに心細いし、せめてもの味方や家族と言える親密な相手でもある。
「はい」
水挿しからコップに注いだ新しい水。
そして、新しく水を入れたバケツに目線を投げる。
「先に洗う?」
朝の温水シャワーは、二人いっぺんで五分。それ以上は他に水で洗わないといけない。
特に汚れた部分は先に洗った方が良いだろう。