白衣の天使-13
「折り入って先生に相談したいことがあるんですけど……」
彼女にしてはめずらしく緊張している様子だった。椎名は湯気の滴る恵麻のふくらはぎを横目で見ながら、うん、と言って耳に意識をかたむけた。
「私、ほかに行くところがないんです。転職も考えたんですけど、人付き合いは苦手だし、アニメオタクだし、それに、先生と離れたくないというか……」
だからもう一度診療所で雇って欲しい、と恵麻は思春期の少女みたいに頬を紅潮させた。椎名がふくらはぎから視線を上げると、潤んだ瞳がこちらを見ていた。
「なるほど、君の気持ちはよくわかった。でもね、高崎さんは何か誤解してるようだ」
「えっ?」
「僕は君に、辞めてくれなんて一言も言ってないよ」
「だって、私……」
すると椎名は表情をかがやかせ、ぱちん、と拳で手のひらを打った。
「あ、そうそう、思い出した。君には冬休みを取るよう言ってあったんだ。僕としたことが、うっかり忘れてた」
これでいいんだよな、と椎名が自分自身を納得させていると、恵麻の肩が遠慮がちに寄りかかってきた。足湯に映る月が波打ち、となりから香ってくる甘い匂いに椎名はしばし虜になる。
源泉のせせらぎが沈黙に注ぎ込み、ようやく通じ合えたお互いの気持ちを持て余した頃、恵麻が小声で言う。
「お医者さんごっこ、したいです……」
椎名は茶化さなかった。大人の言う台詞ではないと知りながらも、今の雰囲気にはとてもふさわしいオブラートだと思った。
空いている宿を探し、今夜はそこに泊まることにした。椎名はのぼせない程度に露天風呂を堪能し、部屋で恵麻の帰りを待った。広い和室には二組の布団が敷いてあり、ここが眠れぬ夜の入り口なのだなとあらためて自覚する。
恵麻が戻ってきた。看護師の白衣も似合うが、浴衣姿も悪くない。偽りのない彼女のすっぴんの顔には恥じらいが浮かび、唇を結んだまま枕元に腰を下ろす。
「おかえり」
「ただいま……」
「温泉はどうだった?」
「ちょっと熱かったです……」
「そっか」
会話が続かないので椎名は困り果てた。朝まではまだ時間があり、眠気も感じないが、とりあえず電気を消してそれぞれの布団に潜ることにした。それから何度も寝返りを打ち、悶々と時間だけが経過した。
焦る必要はない──椎名がそんなふうに冴えた目を閉じた時だった。
「先生、起きてます?」
同じく眠れないであろう恵麻が熱を帯びた声で訊いた。うん、と椎名が答える。
「そっちの布団に入ってもいいですか?」
彼女がこんなふうに言うのは、男の自分がなかなか煮え切らないからに違いない。椎名は掛け布団をはだけさせ、「どうぞ」と恵麻のことを迎え入れた。体を密着させると急激に愛おしさが込み上げてくる。
おでことおでこをくっつけたり、目と目で駆け引きをしたり、そうして恥ずかしさを濾過(ろか)させながらようやくキスに辿り着く。
唇の引力には抗えず、気づけば二人はお互いの肉体を一途に求め合っていた。浴衣の帯をほどき、下着を取り去り、愛撫と交合に濡れたまま興奮の絶頂へとのぼり詰めていく。
恵麻の中で椎名は震えた。交わるほどに求めてしまう、もっと奥まで知りたくなる、快感を分かち合う悦びを共有したいと思う。
避妊具を通して恵麻の熱を感じた。飽きるまで抱き合い、泥濘(ぬかるみ)の中を男根でさぐった。高崎恵麻のような白衣の天使でさえ、裸になれば一人の女性なのだと思い知った。
翌朝、となりで寝息を立てる天使の寝顔を見つめながら、椎名は意地悪をしてやりたい気持ちになった。お互い素肌に布団を被っているだけなので、恵麻の乳房を直に感じる。
だが椎名の手はそこへは向かわず、もっと下にある花園を割り開いて夕べの熱を確かめる。眠ったままの恵麻は眉間にしわを寄せ、太ももをきゅっと閉じながら吐息を漏らした。
潤むそこへ指を挿入すると恵麻が目を覚ました。椎名はかまわず指をくぐらせ、寝起きの恵麻のことをオルガスムス寸前まで連れていき、指を引き抜いた。
「おはよう、可愛い天使ちゃん」
そう言って汚れていないほうの手で彼女の頭を撫でてやる。
「私は天使なんかじゃありません。どちらかと言うと悪魔寄りです……。あっ、んっ」
口答えしながらも恵麻の呼吸は荒く、欲求不満を募らせたような顔をしている。椎名は恵麻の中に指を戻していた。
不意に恵麻の手が陰茎を握ってきた。もちろん望むところだが、なぜか新山夕姫との失敗が脳裏をよぎり、よせばいいのに椎名は余計なことを口にしてしまう。
「君が熟女じゃなくて良かったよ」
「……」
恵麻の表情が固まった。同時に時間が止まったような錯覚をおぼえた。何かまずいことでも言っただろうか。
「違うんだ。つまり君が、あの女みたいに年齢を誤魔化してなくて良かったっていう意味だよ」
「そんなの当たり前じゃないですか。大体、先生は私のことをいつからそんなふうに疑ってたんですか。若い女の子なら誰でもいいんですか? わかりました、もう結構です」
機嫌を損ねた恵麻は椎名の布団から抜け出し、下着を身に付けると、さっさと身支度を済ませて一人で部屋を出ていった。少し遅れて椎名が食堂へ向かうと、恵麻もそこにいた。
その後、気まずい雰囲気の中で食べた朝食は味がまったくしなかった。温泉玉子と湯豆腐を食べた記憶はあるが、あとはよく覚えていない。初めてのデートがこれでは先が思いやられる、と椎名は不機嫌な天使の前で体を小さくするばかりだった。