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天井の金魚
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天井の金魚-2

「詭弁です」
「本当の事だ」
「やるべき事をやったら、救える命は増えます」

煙草を消して、酒井は男を見つめる。

「なあ、谷町」
「はい」

男は涙を流したまま、酒井の目を見つめた。
「スラムを見ろ。電車で客が居るのに襲われたり、何十人もの男に襲われたり―――ンな話もある。お前はそこに居たら、救えるのか?どうやって救う」

酒井はこの男が好きだ。真っ直ぐで良い奴で、警察にはこういう人間が居るべきだとも思う。

だから云いたい。人間は脆く弱く、簡単に人を傷付けられるのだと。

お前が一人苦しむ事はないと。

慰めたいのに、酒井の言葉は男の心を裂く。
「そういう時の為に、逮捕権が―――法律があるんでしょう」
「一人じゃ無理だ。10人でもキツい。あのな、谷町。犯罪者ってのはな、法律の向こうに行っちまうんだよ。そんな奴らとお前は戦いきれるのか?」

眉を歪め、男は黙る。酒井が正しいからだ。正しいのに、納得出来ないからだ。

「法律は、人を救わないんだよ。あれは決まり事なんだ。人が困らないようにする決まり事だ。人を助けたり救ったりする為にあるんじゃないんだ」
「解っています」

充血した瞳で、男は酒井を睨む。

「車は左を走る。車道を走る。それと同じだ。破ったら罰する事が出来る。奴らはいつか女子高生を拉致して輪姦した挙句、苛烈な暴力を加えて殺すだろう、だから逮捕する。なんて事は出来ない」
「解っていますよ。解っています。だけど苦しくて堪らないんです。胸が張り裂けそうなんです」

体を折り膝を抱え、男は喘ぐ。

「人は、あんな事をして良いんですか?あんな事をしても、15年くらい刑務所入ってそれで終わりなんですか?」
「裁判所が決めたなら仕方ないだろう。決められた期間罪を償ったら、誰に責められる事もない」
「あの子のお母さんは、心労で自殺した。遺書は犯人を呪う言葉で埋め尽くされて―――お父さんは一人で耐えている。それなのにたった15年ですか?罪を償う?そんな気持ちある訳ない」

酒井も、裁判記録は読んだ。犯人達の反省は恐らく裁判対策だろう。悔いても悲しんでも悼んでもいないと思う。

だが。酒井は思う。
あんな犯罪は、罪を悔い、悲しみ、悼むような人間にはそもそも出来る可能性があまりないのだ。
だから被害者達は、いつまでも苦しむ。何も悪くないのに、いつまでも。

「なら、法律が殺したら満足か?」
「出て来られるよりマシだ」

男は憎しみで精神を燃やしている。

「お前は警察に向かないな」
「だから、辞めるんです」

なあ谷町―――と酒井は呼び掛ける。

「人ってのは、皆運次第なんだ。誰が悪いんじゃない。みんな、運が良かったか悪かったか、それだけだよ」
「そうかも知れません。あの犯人がのさばって、善良な人達が酷い目に遭って一生が狂うのも、全部運かも知れません。でも」

「俺達の動きによっちゃ―――それこそ特殊でも出張って来たら救えたと思うのか」

「解りません。例えあの子を救い出しても、もう傷は消えない。深い傷と戦う人生が待ってた。だからって、僕らは見てるだけなんですか?」

「谷町。犯罪は加害者が絶対的に有利なんだ。知ってるだろう」

男は頷く。


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